これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
5 月 31 日に、 「医師が患者から謝礼を受け取ることがなぜ良くないのか理解できない人は、医学云々の前に、社会勉強をするべきである。」 と書いた。しかし、よくよく考えてみると、医師や医学部生の中には、極めて狭い社会の中で生きてきたために、 謝礼を受けとることの何が悪いのか、本当に理解できない人がいるかもしれないということに気がついた。 そこで、謝礼の授受が良くない理由について、ここで述べることにする。
こうした謝礼は、患者から医師への感謝の気持ちを表すものであるから、患者から強く勧められた場合には、 無碍に断わらずに受けとるのが、礼儀といえば礼儀である。 実際、かつては、こうした謝礼の授受が自然なこととして行われていた時期もあったらしい。 しかしながら、そうした謝礼が、ごく自然な慣習として広まった結果、何が起こったか。 「重い病気を患った身体を治してもらったのだから、医師に対して謝礼をするのは、人として自然なことである。 それを行わない患者がいたとすれば、その人は社会常識を欠落した野蛮人である。」というような考えが、次第に広まったのである。
そんな馬鹿な、謝礼はあくまで任意であって、それを厚かましくも要求するような発想を抱くはずがない、と考える人もいるかもしれない。 そういう人は、結婚式の祝儀や、葬式の香典のことを思い起こしていただきたい。 あまり親しくない友人の結婚式に招待されて、今月は懐も寂しいし、と、五千円だけの祝儀を包んだり、 あるいは祝儀を持たずに参列した人は、その後、仲間内でどのように噂されるであろうか。
ひょっとすると、結婚式は誰しもが行うものであり、お互い様だ、と詭弁を弄する人もあるかもしれない。 しかし、現代では結婚しない人もいるし、結婚するにしても、22 歳にとっての三万円と、32 歳にとっての三万円では、重みが全く異なる。 また、結婚式を身内だけで行う人もいるし、友人を招くにしても、招待の範囲は人によって異なる。何がお互い様であろうか。
祝儀と謝礼の間に、いかなる本質的な差異があろうか。 患者が義務感から謝礼を支払っているならば、それはもはや患者の感謝の心を表すものではなく、謝礼ではなく、不正な利得である。 それは思い違いだ、謝礼を支払わなくても診療内容には何らの変化もないのだから、患者はそのような義務感を抱く必要はない、と主張する人もいるかもしれない。 しかし、問題は医師側がどう思っているか、ではなく、患者がどう思うか、である。 「謝礼がなくても診療内容は同じですが、謝礼をいただけるなら受け取りますよ。」と言われて、額面通りに解釈する患者がいると思うのか。 また、さる筋による調査では、医師のうち 1/3 程度は、「謝礼が診療に影響する」と述べている。これをどう考えるのか。 なお、情報源については、契約の関係上、明らかにできなくて恐縮である。
結論として、謝礼を一律に禁止せねば、患者に「医師に謝礼をせねばならぬ」という義務感を植えつけることになってしまう。 そうした義務感に便乗して金品を受けとることは、ゆすり、たかりと同じであり、不当な利得である。