これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
ひとくちに「診断学」と言った場合、非常に幅広い学問分野を指すことになる。 放射線診断学と病理診断学は、いずれも診断学の一部であるが、それぞれ非常に高い専門性を有するために、独立した学問分野として扱われることが多い。 病院においても、放射線科あるいは放射線部だとか、病理診断科あるいは病理部といった名称で、独立した部門となっていることが多い。
私は、もともと、病理医、すなわち病理診断を専門とする医師になるつもりで、名古屋大学医学部に来た。 病理診断とは、患者から採取した細胞または組織の標本を顕微鏡で観察し、その所見に基づいて診断を下すことをいう。 病理診断は、患者の病変において実際に何が起こっているのかを、かなり直接的な方法で観察する手法であり、 特に腫瘍の診断において威力を発揮するとされる。 というのも、放射線や超音波などを用いた検査方法では、いかなる名医といえども、「これは、たぶん、癌である」というようなことは言えても、 「これは、間違いなく癌である」と断言することはできない。 しかし病理診断であれば、標本が正しく採取されている限りにおいて、「これは、間違いなく癌である」とか、「これは、腫瘍ではない」とか、断言することができる。 実際には、病理診断を行わなくても、だいたいの場合は、放射線や超音波などを用いた検査により、正しく癌や良性腫瘍を診断できる。 それでも、「だいたい」の診断によって患者の臓器を切除するかどうか決めるわけにはいかない。 そこで「本当に間違いないのか」という最後の確認をする、という意味において、病理診断には重要な意義があると考えられている。
ところで、私はもともと、放射線の専門家であった。 放射線による診断技術は、単純 X 線写真、X 線 CT, PET, 厳密には放射線ではないが MRI など、多岐にわたる。 これらの検査は、疾患があるかどうかわからない場合や、あるいは疾患があるとは推定できるが、いかなる疾患なのかよくわからない場合に、 診断を下すための手段として用いられる。 すなわち、放射線診断学は、未だ診断が下されていない患者に対して「たぶん、この疾患である」と判断することに長けているのである。 この観点からは、診断学において、病理診断学と放射線診断学は、対極的な立場にあって双璧をなしていると考えることもできよう。
風の噂で聞いただけなので、真実かどうかは知らないのだが、日本のとある大学病院では、病理部や放射線科が信頼されていない、という。 一部の臨床医は、放射線科による読影レポートを信用せずに自分達の読影所見を信じるし、 しばしば、病理診断所見よりも臨床所見を重視する、というのである。 これは本来おかしなことであり、 神戸大学病院感染症内科の某医師 が言うように、一般臨床医は、病理所見については病理診断医に及ばず、 放射線読影については放射線科医に及ばないはずである。 もし臨床的な所見や自己の読影所見が、病理医や放射線科医の所見と一致しないならば、 その点を病理医や放射線科医と、よくよく議論するべきである。 もし、本当にそれがなされていないとすれば、その病院の病理医や放射線科医がよほどのヘッポコであるか、 あるいは臨床医が慢心しているかの、いずれかであろう。