これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2014/06/26 アウグストゥス

誤解されては困るので、昨日の記事に補足を加える。 私は、国立大学でさえ、奨学金制度が貧弱な上に年間五十万円以上もの学費を学生に請求している現状は、実によろしくないと思う。 国立大学であれば、授業料を無料とするのは当然であり、返済義務を負わない奨学金制度を充実させるべきである。

義務教育における授業料が無料であるのに対し、高等教育が有償であるのは、受益者負担、という考え方によるものであろう。 すなわち、学生は自分の利益のために勉強しているのだから、そのための費用については、相応分を自己負担すべき、というわけである。 ここで問題にしたいのは、「学生は自分の利益のために勉強している」という考えについてである。

そもそも、京都大学や名古屋大学などの前身である帝国大学は、国家の未来を担う人材を育むために設立された機関である。 その基本的な精神は、現在の国立大学においても同様であるし、慶應大学をはじめとする少なからぬ私立大学も、建学の趣旨は同様であろう。 それを思えば、我々が学問することによる「受益者」は、日本国民全体であると考えるべきであるから、 受益者負担の原則からすれば、そのための費用は公費で担うべきである。 しかるに、受益者負担と称して学生自身に学費を負担させることは、 「諸君が学問により身につけた能力は、諸君自身のために使えばよく、広く社会のために能力を活かす必要はない」と言っているようなものである。 医学科の例でいえば、我々は、社会正義だの公共の福祉だのということを考える必要はなく、自分の金儲けに専念してもよろしい、ということになる。

中には、「税金から少なからぬ補助も出ているのだから……」などと言う人もある。 しかし、そのような恩着せがましいことを言うのであれば、授業料を無償にした上で最低限の生活費ぐらいは支給し、 学問に専念するための環境を整えてほしいものである。 それをせずして、何が技術立国であろうか。


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