これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2014/06/28 EBM について 舌癌を例に考える

名大医学科五年生は、基本的に毎週金曜日の午後に、学生 CPC を行っている。 昨日は舌癌の症例を扱ったのだが、その臨床経過は、次のようなものであった。 舌癌で cT2N0M0 の Stage II と診断された患者に対し、舌部分切除術を施したが、 後にリンパ節に再発し、これを切除したものの、多発転移を来して死亡した。 念のため補足すると、この症例では、実際にはリンパ節に微小な転移が存在したにもかかわらず、 それを臨床的に発見することができずに Stage II と誤診したものと考えられる。 正しくは、少なくとも T2N1M0 の III 期であったのだろう。 なお「誤診」と書くと、あたかも医師に過失があったかのように感じる人もいるかもしれないが、それは適切ではない。 医者は神様ではないのだから、たとえ過失がなくとも、疾患の全てを正しく診断することは不可能である。

さて、この CPC において某君が提出した質問は、次のようなものであった。 「結果論であるが、もし仮に、最初の舌癌切除時に放射線療法なり化学療法なりを追加していれば、かかる悲惨な転帰は避けられたものと推定される。 それを行わなかったのは、『行わない方が良い』というエビデンスがあるからなのか、それとも『行った方が良い』というエビデンスがないからなのか。」 本記事では、この質問を例に、Evidance-Based Meidicine (EBM) のあり方について考察する。

まず最初に、某君の質問に対する解答を述べると、これは「『行った方が良い』というエビデンスがないから行わなかった」といえる。 日本頭頸部癌学会編『頭頸部癌 診療ガイドライン 2013 年版』によれば、標準的治療としては、 cT2N0M0 の場合には舌部分切除術が基本であり、場合によっては頸部リンパ節郭清や、術後補助療法として放射線治療や化学療法を行う、とのことである。 ここで「場合によっては」とあるが、どのような場合に行うべきか、という点については、共通見解が存在しない。 また、cT2N1M0 の Stage III の場合には頸部リンパ節郭清が標準的であるから、もし臨床的に正診が得られていたならば、当初にリンパ節郭清が行われていたであろうし、 それならば再発することもなかったと推定される。

さて、「標準的治療」という言葉の意味については、特に学生の中には、重大な誤解をしている人が少なくないと思われるので、ここで説明する。 ふつう「標準的治療」といえば、ガイドライン等に定められている指針に沿った、ありふれた治療のことをいう。 近年では、有効性が統計学的に証明された治療法が標準的とされることが多い。 従って、仮に有効な治療法であっても、統計学的に有効性が証明されるまでは、標準的とはみなされないことが多い。 以上のことから、「標準的治療」は必ずしも「最適な治療」ではない。 このことは、識者の間では常識であるから、大半のガイドラインは、 「ガイドラインは医師の裁量を否定するものではない」という趣旨のことを明記している。

すなわち、「標準的治療である」という事実は、それ単独では、その治療法が、その患者に対して適切であると主張する根拠にはならないのである。 たとえば、仮に私が、学生同士の雑談の中で、ある常識外れな治療法を提案したとする。 その時、「そんな治療法は、エビデンスがない、すなわち標準的ではないから駄目だ」と主張する人がいるとすれば、その人は「エビデンス」というものをわかっていない。 エビデンス云々を言うのであれば、「そんな治療法は無効だというエビデンスがあるから、駄目だ」という主張でなければならない。 このことは、EBM の歴史を振り返ることで明らかになる。 以前には、病理学や薬理学、生理学などの基礎医学に基づいて理論的考察による治療法の選択が重視されていた時代があった。 しかし、こうした理論的考察では予想しきれない結果が生じることが臨床的には少なくなかったために、 「理論的考察は、統計学的な証明によって裏付けられるべきである」という考えが広まった。 これが基本的な EBM の考え方である。 つまり、統計学的な証明は、あくまで理論的予想を評価する目的で行われるのであって、 統計学的証明がない治療は不適切だ、ということではない。

ここで、前述の某君の質問に対する解答を振り返ろう。 「『行った方が良い』というエビデンスがないから行わなかった」というのは、論理が成立していない、ということがわかるであろう。 そこで論理を正しく成立させるために、省略なく説明するならば、次のようになる。 「『行った方が良い』というエビデンスはないが、『行わない方が良い』というエビデンスもないから、行うという選択も、行わないという選択も、どちらもあり得る。 しかし当該患者は、必要最小限の治療に留めて欲しい、との希望を述べていたから、行わなかった。」

以上の議論からわかるように、かかる再発により不幸にして死亡する患者が存在するのは、 現代医学では転移の有無についての診断能力が未熟であり、時に誤診してしまうことが原因である。 どうすれば誤診を減らすことができるのか。 「仕方ないのだ」と言って諦める医師がいるとすれば、私は、その人を軽蔑する。 医学の改善を常に追究する姿勢は、全ての医師に等しく要求される資質である。


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