これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
これは名古屋大学に限ったことではないのだが、医者や医学部生が書いた文章では、 しばしば、述語を省略したり、略語を過度に頻用するなど、不適切な言葉遣いがみられる。 たとえば、学術的な症例報告における病歴の記述において、次のような表現があったとする。
31 歳男性。腹痛を主訴に来院。右下腹部に圧痛。ロキソニン内服により軽快。IBD 疑い。
第一に、IBD という略語は、Inflammatory Bowel Disease のことなのだろうが、何の前触れもなしに使っているのは不適切である。 原則として、文書内で略語を用いる場合には、それが何の略であるか、初出の際に宣言する必要がある。 さすがに CT スキャンの「CT」ぐらいは説明なしに使っても良いかもしれないが、 基本的には、あたりまえの略語であっても、意外と通じないので、無断で使ってはならない。
第二に、述語の不適切な省略がみられる。「右下腹部に圧痛」では、 「右下腹部に圧痛を自覚して来院した」なのか「身体診察において右下腹部に圧痛を認めた」なのか、よくわからない。 「ロキソニン内服により軽快」も、たぶん「軽快した」という意味なのだろうが、「軽快しなかった」なのかもしれない。 「IBD 疑い」というのも、自分で疑ったのか主治医が疑ったのか不明なので、「IBD を疑われた」などとするべきであろう。 日本語においては、述語は非常に重要なのである。
第三に、薬剤の名称を「ロキソプロフェン」という一般名ではなく「ロキソニン」という商品名で記している。 このような表現をした場合、「ロキソプロフェンの製剤にはいろいろあるが、その中で特にロキソニンを使用したことに意味がある」と主張していることになる。 たとえば料理のレシピでは、ふつう、「塩 大さじ 1」などと書くが、ここでもし 「伯方の塩 大さじ 1」と書かれていた場合、それは「食塩の中でも伯方の塩という商品を使わなければならず、シチリア産岩塩ではダメである」という意味になる。 同様に、症例報告において、投与された薬剤がロキソニンという商品であることに重大な意義があると考えているならば 「ロキソニン」という記述は適切だが、そこに意義を認めていないならば「ロキソプロフェン」とするのが正しい。
このような不正確な言葉遣いは、素人目には、あたかも専門的でカッコイイかのように感じるかもしれない。 しかしながら、これは単に曖昧で意味不明なだけなので、誤解してはならぬ。