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私はもともと放射線の専門家であるが、以前の専門に固執するのはよろしくない、という観点から、 放射線科医は進路の候補として考えないようにしてきた。 しかしながら最近になって、放射線医学が魅力的に感じられてきた。 これは、たぶん、私が放射線を愛好していることとは無関係に湧いてきた関心であるので、進路の選択肢として放射線医学を考えてもよいかと思い始めている。
さて、放射線医学の入門的教科書である ``Squire's Fundamentals of Radiology sixth edition'' は名著として知られており、日本語訳も羊土社から出版されている。 基本的には良い訳本なのだが、言葉遣いについて極めて残念な点がある。 すなわち、`pleural' という形容詞に、しばしば「胸腔の」というような訳語を当てているのである。 解剖学的に、`pleural' は「胸膜腔の」とするべきであり、「胸腔の」に当たる英語は `thoracic' である。
胸腔と胸膜腔の区別は重要である。胸腔とは、胸郭に包まれた空間を指す語であり、そこには肺や血管や気管など、多様な構造物が存在する。 これに対し胸膜腔とは、胸膜に包まれた空間を指し、そこには通常、少量の胸水と少量の気体のみが存在する。 念のために確認するが、胸膜の一部は胸郭に密着しており、この部分を特に壁側胸膜と呼ぶ。 残りの大部分は肺の表面などに密着しており、こちらは臓側胸膜などと呼ばれる。 壁側胸膜と臓側胸膜はつながっており、境界は不明瞭である。 胸膜腔は全体として嚢状であり、開口部は存在しないため、胸膜腔は通常は外部と連絡していない。
さて、Squire's の原書では `pleural fluid' と記されている箇所が、日本語版 p.155 などでは「胸腔の液体」などと訳されている。 Pleural fluid という場合には、胸水の意味であると考えるのがふつうであろう。 素人は胸水という言葉を「胸腔に貯留した液体」という意味に考えるかもしれないが、正しい定義は「胸膜腔に貯留した液体」である。 「胸腔に貯留した液体」としては、胸水の他にも、肺水腫、すなわち「肺胞に貯留した液体」や、肺間質の浮腫なども考えられる。 従って、両者を区別することは重要である。
誤解を招くといけないので補足するが、日本語版の「スクワイヤ 放射線診断学」は、良書である。 細かな言葉遣いに不満は残るが、これは読者が各自で訂正しながら読めば済むことであり、同書のすばらしさを何ら損なうものではない。 ぜひ、ご一読されたい。ただし、この本は、少し古い。