これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2014/07/25 医学連と医ゼミ (3)

医ゼミは、本当に「より良い医療者」を育てているのだろうか。 より良い医療者になるには、医学科生なら医学を、看護学科生なら看護学を、というように、 自分達の専門たる学問をしっかりと修得することは必須である。 いかに社会問題に関心があろうとも、医ゼミで勉強しようとも、医学を知らずに国家試験に合格しただけの医師は、良い医師ではあり得ない。 そうした医師が、いかなる提言を社会に対して発しようとも、「あの人は医学をわかっていない」とみなされれば、誰も、その言葉に耳を貸さないであろう。 しかし、医ゼミ中心メンバーの中には、医ゼミに全力を尽くすあまりに学業をおろそかにし、留年する者も少なくないという話を、昨年、複数の参加者から聴いた。

実際のところ、参加者の多くは、医学を嫌いなのではないか。 勉強は、あまり面白くない、試験に合格できればそれで良い。しかし、それでは、まともな医療者になれないことは明白である。 そこで医ゼミ等の催しで「勉強」すれば、より良い医療者になれるのではないか。 医学は楽しくないが、医ゼミは皆で盛り上がれて楽しい。そうだ、私は意識の高い学生なのだ。 医ゼミは、いつのまにか、そういう錯覚を与えてくれる催しになってしまったのではないか。

私は昨年の医ゼミで「基礎心電図学」と題した分科会を行った。 これは、心電図が臨床現場では非常に重要な検査方法である一方で、その理論は難解で、多くの学生や医師が 心電図理論を学ばぬままに、パターン認識だけで心電図を「読んで」いる現状を憂いたからである。 もちろん、パターン認識だけで国家試験は合格できるし、臨床現場でも、一応は通用する。 そして、ひとたび臨床現場に送り出されれば、大抵の者は日々の業務に忙殺され、 深淵な心電図学を系統的に修めるだけの時間と心のゆとりを失うであろうことは、明白である。 しかし、そのような、理論抜きにパズルのように心電図を「読む」医師や看護師が「良い医療者」であるとは、私は思わない。

分科会には、途中で人の出入りはあったが、10 名ほどの方が参加してくれた。 医ゼミ全体では 1000 人近い参加者があり、並行する分科会は 15 程度であったように思うから、10 名というのは、少ない方である。 人を集めることができなかったのは、分科会の紹介文を書いた私の文章力が稚拙であったためか、 それとも彼らが心電図に興味を持っていないためであるかは、よくわからない。

私は、医学が嫌いな学生に対して、我慢して、努力して勉強せよ、と言うつもりはない。 私自身、我慢も努力もしていないし、怠けたい時には大いに怠けているからである。 学問というものは、元来、我慢して、努力して行うような性質のものではなく、 「学問をしたい」という自発的欲求に応じて為されるべきものである。 しかし残念ながら私は、医学を嫌いな学生に対して医学の面白さを伝える術には、長けていない。 私にできることは、学生のあり方について一つの例を提示し、疑問を投げかけることまでである。


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