これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2014/07/27 NSAID 腎症

次のような架空の症例を考えよう。 患者は 31 歳男性、名古屋在住の大学生である。 IgA 腎症とみられる糸球体腎炎の既往があるが、最近では eGFR が 110 mL/min 程度であることから、 糸球体瀘過量は正常化したと考えられている。 患者は、先日、転倒して左尺骨を骨折し、治療中である。 鎮痛剤としてアセトアミノフェンを投与されていたが、疼痛コントロールが不良であるため、 主治医は NSAID であるロキソプロフェンの投与を検討している。 さて、この患者に対し、NSAID の投与を躊躇すべき理由は、あるだろうか?

まず、悪い解答例から示す。 「患者には腎疾患の既往があるが、ロキソプロフェンは腎排泄が主であり、軽度とはいえ腎毒性もあることから、慎重になるべきである。」 なるほど、言っていることは、間違ってはいない。しかし、次のような追加質問に対しては、どう答えるのか。 「腎毒性とは、具体的には、どういうことか。また、腎疾患の既往がある患者に対しては、常に NSAID の投与を控えるべきなのか。」 学生の中には、次のように答える者がいるかもしれない。 「腎毒性とは、腎機能障害を誘発する可能性をいう。NSAID を常に控えるのは難しいから、慎重に投与するのならば可であろう。」 要するに「腎毒性」という言葉の意味をわかっていないのであって、「腎機能障害」という、これまた曖昧な言い換えをして逃げているのである。 また、よくわからないから慎重に、というのでは素人同然であると言わざるを得ない。

私は、この問題を考案した当初、次のように考えた。 今から思えば稚拙な発想なのであるが、その点はご容赦願いたい。 腎毒性というのは、具体的には、尿細管障害である。 高用量の NSAID が投与された場合などにおいては、詳細な機序は不明であるが、おそらくは尿細管細胞に薬剤が蓄積し、 尿細管壊死から急性腎不全を来す恐れがある。 しかし当該患者の既往は、尿細管障害ではなく糸球体腎炎であるし、eGFR から考えれば現在は腎機能に問題がないと推定される。 eGFR はあまり信頼できる指標ではないが、この患者は若く合併症もないことから、真の GFR も充分に高いものと考えられる。 従って、NSAID の腎毒性を特に警戒する必要はなく、躊躇なくロキソプロフェンを投与して構わない。

この私の意見に対し、同級生の某君は「君は、NSAID 腎症のことを忘れているのではないか。」という趣旨の指摘を行った。 すなわち、NSAID によりプロスタサイクリンやプロスタグランジン E2 などの産生が阻害され、 腎局所における血管収縮を来し、結果として腎不全を来す恐れがある、というのである。 私は不勉強で NSAID 腎症というものを知らなかったので、それから慌てて教科書を調べ、次のような反論を行った。 「当該患者においては、特に腎血流の異常もみられないことから、NSAID 投与による血管収縮が腎機能障害を来すことは考えにくい。」

ここまでに述べた私の見解は、完全に誤りである。 腎臓をよく勉強した人であれば、私の主張を叩き潰すことができるはずであって、むしろ、それができない人は、少しばかり勉強し直した方が良い。

糸球体の機能は、ひとたび損傷すると、なかなか回復しないものである。 当該患者において、IgA 腎症が軽快したとはいっても、糸球体の機能は以前と比べて低下しているものと推定される。 それでも eGFR が回復したのは、腎臓はもともと予備能が大きいからに過ぎない。 この「予備能」の由来は、概ね二つある。 一つは、そもそも腎臓には充分すぎるほどの数の糸球体があり、ある程度の糸球体が機能を失ってもなお充分な瀘過量を保つことができる。 もう一つは、腎機能が低下した際に、フィードバック機構によって糸球体の血圧を上昇せしめ、それによって糸球体あたりの瀘過量を高めるものである。 この後者は複数の機序によって支えられているが、そのうち一つがレニン-アンギオテンシン-アルドステロン系の亢進であって、 これにより全身の血管が収縮する一方、輸入細動脈ではプロスタサイクリンやプロスタグランジン E2 などの作用により 血管抵抗が低下し、結果として腎への血流は増加するのである。

すなわち、当該患者においては、糸球体障害がレニン-アンギオテンシン-アルドステロン系によって代償されている可能性があり、 その場合には、ロキソプロフェンの投与により NSAID 腎症を来す恐れがある。

理論上、レニン-アンギオテンシン-アルドステロン系が亢進していなければ NSAID 腎症は来さないので、 事前にレニン活性を検査することで、そのリスクを評価することができるだろう。 ただし医学書院『臨床検査データブック 2013-2014』によれば、現行の保険制度では、こうした目的でのレニン活性やレニン濃度の検査は、保険適応外であるらしい。


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