これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2014/08/01 膠質液と漿質液

近頃、よく怠けている。怠慢学生である。そろそろ医学の世界に復帰しようと思うのだが、その一方で、久しぶりに囲碁に興じている。 中学、高校時代には囲碁部に所属していたが、ここ十年余り、まともに打っていなかった。 日本における囲碁の総本山である日本棋院が運営しているネット対局サービス 幽玄の間において、とりあえずリハビリ目的で 5 級として打ち始めた。 30 局余り打って順調に勝ち越し、2 級まで上がった。もうすぐ初段に手が届きそうである。 忘れていた手筋、定石、感覚も戻りつつある。一方で、小目一間高ガカリ上ツケに対してツケカエシを打たれることの多さに驚いた。 最近の流行なのかもしれない。以前、私は「上ツケは意外と地に辛い」と思って多用していたので、残念である。

さて、医学の話である。 輸液にはいくつかの種類があるが、名大医学科の学部教育では、輸液学のような講義はなかったように思われる。 たぶん、各自勉強せよ、との趣旨なのだろう。 ところが、私は輸液学の良い教科書を未だみつけておらず、南山堂『麻酔・蘇生学』改訂 4 版で少しかじった程度である。 輸液学について理論を重視した書をご存じの方は、ぜひ、教えていただきたい。 同級生に一人、麻酔マニアがいることは知っているが、彼とは教科書の趣味が合わないのが遺憾である。

輸液の目的はイロイロあり得るが、ここでは例として、手術中に喪失する有効循環体液量を補正するための輸液について考える。 名古屋大学病院の手術室では、こうした目的で頻用されているのは乳酸リンゲル液や重炭酸リンゲル液である。 前者は商品名ラクテック、後者は商品名ビカネイトが使われることが多いが、ビカーボンを使っている場面も、みたことがある。 乳酸リンゲル液と重炭酸リンゲル液の使いわけについて、若い麻酔科医に質問してみたことがあるが、あまり意識していない、とのことであった。 一方、日本医科大学麻酔科の小川教授の解説によれば、 歴史的には緩衝剤として炭酸水素イオンが用いられていたが、重炭酸マグネシウムや重炭酸カルシウムが沈殿することを嫌って 乳酸あるいは酢酸を用いるようになったらしい。 もっとも、ふつうは重炭酸マグネシウムや重炭酸カルシウムが大量に沈殿することはないから、大抵、重炭酸でも問題はない。 結局は輸液する人の好みの問題であるが、第一級の真のプロフェッショナルは、患者の状態に応じて重炭酸と乳酸を細かく使い分けているかもしれない。

さて、教科書的には、リンゲル液を輸液すると、水分は血管内に留まらず、組織液として細胞間質にも移行してしまうため、浮腫を来しやすく、 有効循環体液量を効果的に増やすことができない、とされる。 そこで、分子量の大きなコロイドを含む膠質液を輸液すると、溶質が血管内に留まり、有効循環体液量を効果的に増やせるとする意見がある。 一方、リンゲル液などの晶質液に比べて膠質液が優れているという客觀的証拠はなく、両者の優劣を巡っては長い長い論争が続いているようである。

名古屋大学病院でも膠質液が使われることがある。商品名は忘れたが、あるとき私がみたのは、生理食塩水に 6 % デンプンを加えたものであった。 このデンプンの分子量は 30,000 程度であっただろうか、とにかく分子量が大きいため、6 % の質量割合であっても浸透圧には殆ど寄与していない。 たぶん、デンプンが血中アミラーゼにより切断されることで、時間をかけて血漿浸透圧が上昇することを期待しているのだろう。 なお、注意深い学生は気づいたであろうが、輸液をリンゲル液から膠質液に切り換えた直後には、 点滴ルートのチャンバー内で屈折率の違いによるモヤモヤを観察することができる。

さて、私は輸液学の素人であるので、純粋に生理学の立場から考える。 「大量出血に対して輸血が間に合わないから、とりあえず手近なものを輸液して有効循環血液量を確保する」という緊急手段であるとか、 「敗血症などの全身性炎症に対して大量輸液と利尿により不必要なサイトカインの排泄を促す」という思想に基づく輸液を別にすれば、 膠質液の晶質液に対する優位性は疑問である。

通常、手術中の輸液は、手術中に失われる体液を補うものである。この場合、間質液、血液の相互の平衡は保たれているはずであるから、 体液の補正を行う際には、基本的には間質液と血液の両方を補うのが自然であろう。 細胞内液は特に失われていないと考えられるので、補う必要はない。 従って、そもそも膠質液を使おうという発想の根底にある「間質への移行を防ぎたい」という発想に、あまり意味がないように思われる。

このあたりの問題については、臨床データを統計的に比較した報告は多いが、理論的検討は比較的、少ないようである。 理論的な説明については慈恵 ICU 勉強会の資料が面白く、 そもそも細胞内液、間質液、血液、いわゆるサードスペース、という compartment model がおかしい、とのことである。 浸透圧についてのスターリングの法則で考えることがダメだ、というのである。 こういう理論的な議論をレビューとしてまとめた文献は、ないだろうか。


戻る
Copyright (c) Francesco
Valid HTML 4.01 Transitional