これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
4 月 13 日の記事にも関係するが、どうも、医学科には批判的精神の持ち主が少ないように思われる。 これは、近年の風潮なのか、名古屋大学の特性なのか、それとも医学界の古臭い年功序列的上下関係のせいなのかわからないが、いずれにせよ、遺憾である。
ひょっとすると、批判することを悪いこと、あるいは相手に失礼なことだと思っている人が多いのではないか。 もしそうであれば、それは、とんでもない誤解である。 少なくとも科学の世界においては、批判することこそが礼節なのであり、相手を尊重する態度である。 相手の持つ権威に対して萎縮し、口をつぐみ、疑問を自己の内に留めることは、相手に対して極めて非礼なことである。 かつてリチャード・ファインマンは、誰に対しても忌憚なく批判的意見を述べたがために、ニールス・ボーアに信頼されたという。 それでこそ、真の科学者である。
私は、教科書を読むときには、徹底的に批判を行い、その内容を余白や、表紙の裏にある空白のページに記入することにしている。 中には揚げ足取りに近いものもあるが、揚げ足を取られるような記述をする方が悪い。 そのように必死に攻撃しながら読むわけだから、逆に、批判しなかった部分については、私は充分に納得しているわけである。 もし、私が納得した部分に対して批判を加える人がいたとすれば、私はその人に対し、自信を持って反撃することができるであろうし、 そうでなければ「教科書を読んだ」とは言えないと思う。
さて、月曜日から循環器内科の臨床実習であるから、今さらながら『ハーバード大学テキスト 心臓病の病態生理 第 3 版』を読んでいる。 しかし、心電図の説明を読んで、私は、憤りを禁じ得なかった。この教科書の説明は、子供騙しである。
一部の教科書は、電気軸の概念を明確な定義なしに導入し、Einthoven の正三角形近似に基づいて 電気軸の方向を決定し、心筋の興奮状態の図と対応させて「この状態では、電気軸の向きはこうなるのだ」と天下り式に宣言しているようである。 この説明では、実験事実から電気軸の方向を決定しているものの、「なぜ、そうなるのか」については充分な説明をせずに、読者を煙に巻いていることになる。 aVL の例でいえば、たぶん、q 波や R 波の前半部分について 「なぜ、電気軸がその向きになるのか」を合理的に説明している教科書は、ほとんど存在しないと思う。
一部の教科書が、読者の理解力に合わせて平易な記述を重視し、議論をごまかすのは、やむを得ないかもしれない。 しかし、天下のハーバード大学テキストが、それをやるとは、いかなる了見なのか。極めて遺憾である。 もし、簡明な説明が困難であるのならば、その旨を明記すべきであり、決して読者を欺くような記述を用いるべきではないだろう。
誤解を招くといけないので明記するが、『ハーバード大学テキスト 心臓病の病態生理 第 3 版』は名著である。 名著であるにもかかわらず、心電図に関しては論理の破綻した説明をしているからこそ、私は憤っているのである。
電気軸を「興奮が伝わる向き」と説明するのは、やめるべきである。 単細胞モデルでは、確かに電気軸と興奮が伝わる向きは一致するが、実際の心臓においては、それは成立しない。