これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
8 月の 9 日と 10 日に石川県で開催された、日本病理学会中部支部の夏の学校に参加した。 現在は所用で富山に来ており、この日記は、富山駅前の某ホテルで書いている。 夏の学校は、病理学に関心のある学生や若手医師を対象にした催しであるが、講義中心の形式なのが残念であった。 しかし 10 日に講演した京都大学大学院の某教授からのメッセージは、たいへん、気に入った。 名前を出して良いのかどうかわからないので、一応、伏せるが、その教授からのメッセージの一部を、夏の学校の配布資料より引用する。
最近の学生は、なんでもやりますから教えてくださいといいます。 優秀な学生ほど、教育システムが充実している研修病院に競っていきたがります。 効率よく教えてもらうことが本当に自分のためなのでしょうか。 自分で考えること、失敗から学ぶということをもっと学ぶべきだと思います。
これと同様の趣旨の説諭は、名古屋大学医学部医学科においても、何度となく私は耳にしたのであるが、遺憾ながら、多くの学生の心には届いていないものと推定される。 だいたい、よくわからないことがあれば、すぐ先生に訊こうとする学生が多すぎる。 「わからないから教えてもらう」という発想が、そもそも、誤りなのである。
たとえば私は、一年ほど前から、乳癌の診断について、ある疑問を抱いている。これは、次のような事例である。 「30 代の女性が、乳房のしこりを自覚して来院した。 触診上、腫瘤を認めたためマンモグラフィおよび超音波検査を行ったところ、悪性腫瘍を疑う所見があった。 そこで超音波ガイド下に穿刺吸引細胞診を行った。」 これは割とよくある事例であるが、はたして、マンモグラフィは必要であったか。
専門外の人のために、若干の補足説明が必要だろう。 私が問題視したのは、次のようなことである。 マンモグラフィによって診断が確定することは極めて稀であるから、 マンモグラフィの所見がどうであろうと、結局、細胞診を行うことになる。 また、若い女性では乳腺組織が発達しているため、マンモグラフィは診断上の有用性に乏しい。 以上のことから、マンモグラフィは実際の診断にほとんど役立たないのではないか、と疑われる。
昨年度、この問題について一部の同級生と議論したところ、マンモグラフィは省略可能である、 さらに言えば、患者の身体的、経済的な負担を考えて「省略すべき」とする意見が、私の他にも一定数みられた。 その一方で、自分の意見は表明せずに「先生に訊いてみると良い」とする学生も、少なくなかった。 上述の教授が言っているのは、この後者のような学生はダメだ、ということであろう。 自分で判断できず、決断できず、責任を権威に委ねるような学生は、将来、ろくな医者にならん、ということである。
なお、この乳癌の診断の問題については、マンモグラフィを積極的に支持する学生は、いなかった。 一方で、何人かの医師に問いかけてみたところでは「確かに省略可能かもしれぬ」という意見がある一方で、 マンモグラフィの必要性を強く主張する医師もいた。ただし、後者については、その医学的根拠は私には理解できなかった。
一応補足すると、診断学においては「侵襲性の低い検査から順に行うべきである」という法則のようなものがあるらしい。 その法則に基づいて「マンモグラフィは細胞診より侵襲性が低いのだから、先にマンモグラフィをやるべきだ。」とする意見もあった。 しかし、それは「マンモグラフィは不要ではないか」という問いへの返答にはなっていないし、そもそも、この法則は、あまり絶対的なものではない。 私は「その後の診断や治療に全く影響を与えない検査は行ってはいけない」という鉄則に基づいて、 既にしこりを触知できる若い患者に対しマンモグラフィを施行することの理論的根拠を問うているのである。 全く無症状の患者に対するマンモグラフィとは事情が違うことに留意が必要である。
なお、マンモグラフィは侵襲があまり強くないので、とりあえずやっておけ、という乱暴な意見も、少数ながらみられた。 しかし、必要性をキチンと説明できない検査によって患者を痛めつけ、低線量とはいえ放射線を照射し、 しかも費用を請求するなどということは、まっとうな医者のやることではない。