これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2014/08/13 献血

先日、とても久しぶりに、献血を行った。以前に行ったのがいつであったか記憶が不確かであるが、たぶん、十年以上前のことである。 どちらかといえば、私は献血については消極的なのであるが、絶対に嫌、とまでいうほどのものではない。 そこで、いずれ輸血を行うであろう立場として、見学のつもりで献血を行ったのである。

昨年 10 月に書いた通り、私は、臓器移植には反対である。 輸血も臓器移植の一種であるが、ドナー側の負担が比較的軽いという点では、他の移植とはいささか異なる。 もし、自分が大量出血が予想されるような手術を受けることになった場合に輸血を拒むかどうか、未だ結論は出ていない。

私が行ったのは、富山駅前の献血ルームである。 待合室には、献血で救える命がある、献血はすばらしいことだ、というようなメッセージを含むポスターが掲示されていた。 臓器移植の件と同様で、こういうポスターは、 私のように献血に消極的な者にとっては「君は優しくない」などと咎められているように感じられ、居心地が悪い。

少なくとも日本では、宗教的理由で輸血を受けたくない、という人は、大抵、「変な宗教の人」というような扱いを受ける。 医療者の中には「面倒くさい患者」などと捉える者もおり、実際、医師がそのように表現しているのを聴いたことがある。 一部には、日本には八百万の神がいて一神教よりも寛容なのだ、などと言う人がいるようだが、 実際には、思想や宗教を異にする人に対して、日本社会は極めて不寛容、無理解である。 価値観や思想を強力に、無言で押し付けているのに、当人たちにはその自覚がない。

もし、思想や宗教上の少数者に配慮をするのであれば、ポスター等では「献血に協力して下さい」などの表現に留め、 献血や輸血の是非についての価値判断を含むような表現は、控えるべきである。


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