これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2015/09/27 確率

臨床医療において、しばしば定義を曖昧にしたまま用いられる言葉に「確率」がある。 少なからぬ学生は「定義なんか曖昧でも、意味さえ通じて実用に足るならば、それで十分ではないか」と主張するであろう。 その意見は正しいかもしれないが、問題は、実際には意味が通じていない、ということである。 たぶん、Wikipedia確率の項に記載されている説明が、 多くの人の理解している「確率」の意味であろう。しかし、この説明は「確率」という語を別の語に置き換えているだけで、何の説明にもなっていない。 確率論の項に記載されている説明は正しいが、この説明を理解できる人は少ないであろう。 「確率」の問題については、この日記でも過去に何度か書いたが、結局、うまく説明できていないので、再度、説明を試みる次第である。

たとえば、「ステージ IV の乳癌患者が、その五年後に生きている確率は 34 % である」という記載があったとする。 これは、正確には「ステージ IV の乳癌と診断された患者のうち、その五年後に生きている者の割合は 34 % である」という意味であろう。 「確率」という語の不正確な用法であるとはいえ、述べている内容自体は客観的事実であり、問題ない。

では、ステージ IV と診断された患者に対し「あなたが五年後まで生きていられる確率は 34 % です」と説明するのは、どうか。 世俗的な「確率」という言葉の理解は、「ある試行を何度も反復した時、その結果が生じる頻度」というようなものであろう。 しかし、「その患者が五年後まで生存できるかどうか」という試行は、二度と反復することができない。ここでいう「確率」とは、一体、何なのか。 次のように説明する学生がいるだろう。「同じような患者をたくさん集めて統計をとった時に、五年後まで生存している者の割合のことである。」 なるほど。それでは、何をもって「同じような患者」と言うのだろうか。 これには、次のように答えるだろう。「同じステージ IV であるならば、同じような患者とみなして良いだろう。」 つまり、彼らの説明によれば、「あなたが五年後まで生きていられる確率は 34 % です」という表現は 「あなたと同じ病期の患者のうち五年後まで生きている者は 34 % です」という意味であるらしい。

彼らの説明がおかしい、ということは、容易に示すことができる。 乳癌の「IV 期」というのは、「遠隔転移がある」というのが定義である。 つまり、小さな肺転移が一つだけある患者も、脳転移や肺転移、骨転移が多発している患者も、同じ IV 期なのである。 IV 期の患者の五年生存率が 34 % というのは、前者のような、五年後の生存を比較的、期待できる IV 期の患者と、 後者のような、五年間の生存は厳しいと考えざるを得ない患者などを、全て平均した結果である。 後者の患者に対し「あなたが五年後まで生きていられる確率は 34 % です」と説明するのは、常識的に考えて、無茶苦茶である。

何を言いたいかというと、こういう問題について、確率などというものは定義できない、ということである。 正確にいえば、確率の定義は任意であるから議論する意味がない、ということである。 世の中において、確率で議論することに意味があるのは、モンテカルロ法によるシミュレーションか、量子力学ぐらいであろう。

患者や家族に「確率」について説明を求められた場合には、「ステージ IV の患者さんは云々」と説明した上で、 「予後は個人の抵抗力などによって様々なので、確率を用いて予測することは難しい」とするべきである。


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