これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
以前にも書いたことがあるが、私は 13 年ほど前、京都大学工学部の一年生であった時、某教授から教科書の読み方を教わった。 すなわち、本当に良い教科書であるならば、最初のページから最後のページまで、順番にめくっていくべきであり、 必要な場所だけを抜き出して読んではならない、というのである。 つけ加えるならば、本を読むということは、著者と対話するということでもある。 「なぜ」「どうして」「それは違うんじゃないか」あるいは「確かにその通りだ」というような言葉を、常に著者に対して投げかけながら、読み進めるべきである。 もちろん、そのようにしながら読むのは、たいへんな労力を要するが、「教科書を読む」とは、そういうことなのである。
さて、名大医学科の教授陣には、英語の教科書を読むことを勧める人が多い。 というのも、医学の分野においては、遺憾なことに、優れた教科書のほとんどが英語で書かれているからである。 日本語訳されるのは、たいてい数年遅れであるし、初めから日本語で書かれた名著は実に少ない。
とはいえ、私は、最初は無理せず日本語で読めば良いと思う。 だいたいの学生は、英語よりも日本語の方が得意であろうし、そうした学生が、医学をよくわかっていない段階で英語の教科書を使って学ぶというのは、かなり無理がある。 低学年のうちは日本語で学び、五、六年生になって、時代の先端を行く医学者達の背中がみえてくる頃に、英語の教科書に手を出せば良いのではないか。
また、六年生ぐらいになったら、1000 ページ以上あるような、しっかりした英語の名著を一冊、卒業前に読んでおくのが良いと思う。 というのも、卒業して就職してしまったら、だいたい、学生時代よりも忙しくなるから、教科書をしっかり読もうなどという気はなくなるものである。 今のうちに、キチンと読むという習慣をつけておかねば、一生、そうした機会は失われてしまうだろう。
「とりあえず国家試験に受からねば」という気持ちは、わかる。 しかし、とりあえず受かっただけでは、藪医者にしかならぬ。 その一歩先まで見据えて行動することこそが肝心であろう。