これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
過日、同級生の某君らと、いわゆる QT 延長症候群を巡って、少しだけ論争になった。
まず前提として、いわゆる QT 延長には二種類あって、おおまかにいえば、狭義の QT 延長と、TP 短縮とでもいうべきものである。 これについては一年ほど前に書いたので、ここでは繰り返さない。 この二つは、Einthoven の遺物とでもいうべき古典的心電図診断においては「QT 延長」と一括りにされるが、実際は全く異なる現象なので、区別して考えなければならない。
いわゆる QT 延長症候群 long QT syndrome は、先天的な遺伝子の異常によって、あるいは薬物などの後天的な事情によって、心筋の再分極が障害を来たし、 致死的不整脈を来すリスクが高くなっている状態をいう。 便宜上「症候群」と呼ばれているが、厳密にいえば症候から定義されているわけではないので、症候群ではない。 本来は心筋再分極異常症、とでも呼ぶべき疾患群である。
「QT 延長症候群」という不適切な通称ゆえに、少なからぬ学生は「QT 間隔の延長が原因となって致死的不整脈を来す」などと理解しているらしい。 また医学書院『医学大辞典』第 2 版にも「QT 時間の延長が原因となって」と書かれている。しかし、この理解は正しくない。 そもそも「QT 時間が長い」というのは、単なる心電図上の所見であって、それ自体が何らかの病的状態を意味するものではない。 実際、QT 間隔には生理的に個人差が大きく、男女差も明瞭にある、ということは古くから知られていた。 たとえば M. Merri らの報告 (Circulation, 80, 1301-1308 (1989).) では、 補正 QT 時間 (QTc) は男性で 409 ± 14 ms1/2、女性で 421 ± 18 ms1/2 であった。
いわゆる QT 延長症候群は、臨床的には、身体的あるいは精神的なストレスの下での失神発作や、心電図上での QT 間隔延長を特徴とする。 無治療であれば、最初の失神発作から 1 年以内に 20 %、10 年以内に 50 % が死亡するという。 しかし、典型的な発作や心電図異常を呈する患者はともかく、実際には「境界群」とでもいうべき、診断が容易ではない患者が少なからず存在する。 そこで P. J. Schwartz は、1993 年に、いわゆる QT 延長症候群の診断基準 (Circulation, 88, 782-784 (1993).) を提唱した。 ここでは男性であれば QTc 450 ms1/2 以上で 1 点、性別を問わずに 460 ms1/2 以上で 2 点としている。 従って、女性については健常者の 2 % 程度は Schwartz の基準で 2 点がついてしまうことに注意を要する。 この点について、Schwartz は、ホルター心電図などの余計な検査を受ける可能性が生じるとしても、いわゆる QT 延長症候群を早期発見できる利点の方を重視したらしい。
ところで、この Schwartz は、私の知る限りでも 1975 年頃 (American Heart Journal, 16, 523-530 (1975).) から、 かれこれ 40 年間、この疾患群を追い続けている人物である。 当然、彼は、この疾患について、心電図上の QT 延長は特異度が低い、ということも理解している。 そこで 1993 年に前述の診断基準を提唱した時点で既に彼は、前胸部誘導における波形の異常や、心エコーにおける異常を、特徴的な所見として指摘している。 しかし、これらは当時の水準からいって、広く世間に受け入れられるかどうか疑わしかったために、敢えて診断基準から外したらしい。
そもそも診断をする際に、所見に基づいてスコアリングを行い、何点以上だから該当する、というような方式を採ること自体に無理がある。 再分極異常症を診断したいのであれば、再分極障害自体を直接に検出するのが筋である。 Einthoven 式の心電図では再分極異常を直接検出することはできないのだから、Schwartz が試みたような、超音波なり前胸部誘導の波形解析なりを用いる必要がある。 臨床医を目指す学生諸君は、与えられた技術や手法を使うだけではなく、こうした探究心を忘れないでいただきたい。