これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2015/09/16 「フラジャイル」

いわゆるネタバレ注意

一部で話題の病理漫画「フラジャイル」は、現在、単行本第三巻まで出版されている。 これまでのところ、たとえば宮崎が、たぶん初期臨床研修修了後二年目 (つまり卒後四年目) なのに「卒後二年目」と表現されているなど、 いささか、設定に首をかしげる部分がないではない。 とはいえ、医学的には概ね妥当な内容であり、病理医を中心とした専門家からも大好評らしい。 名古屋大学鶴舞キャンパスの書籍部でも、発売直後から飛ぶように売れているとか。

第二巻に、少し気になる部分はあった。 腸炎様の症状を呈する患者の診断に苦慮している段階で、岸が次のように述べる場面がある。

今 森井くんが感染症を前提に違うアプローチを試しています。 現状ではなぜかインターフェロンに陽性反応。 あとは明日の夜に培養の中間発表が出たところで もう少し見えてくる ものがあるでしょう。

「インターフェロンに陽性反応」という言葉の意味がよくわからないのだが、文脈からすると、たぶん、結核菌特異的インターフェロンγ産生能、 いわゆるクォンティフェロンで陽性反応が出た、ということであろう。 すなわち、この時点で「結核じゃないの?」と暗に述べているものと思われる。 しかし、専門家でなければ、あの場面からそこまで読み取ることはできまい。作者は、どういうつもりで、あれを描いたのだろうか?

第二巻で特に良いと思ったのは、中熊教授の言葉である。 岸が診断に迷っていた時、なぜもっと詳しく助言しないのか、という宮崎の疑問に対して答えたものである。

あのな 俺があれを見て どう見立てたか伝えたとする。 それを聞いた医者は ちょっと安心しちまうんだよ。 判断が緩くなる。 あの人も こう言ったから 大丈夫ってな。 他人の命みたいなもん 医者はてめえで責任取れねえんだからさ。 不安と戦ってなきゃならない。 後押しなんかしてさ それを放棄させるようなこと しちゃいかんだろ。

他に、第三巻では、次のようなやりとりもあった。

岸「医学論文って書いたことある?」
宮崎「いえ 大学出てからは……」
岸「何か 2 〜 3 本書いてみたらどう?」「そうしたらわかるよ」「この うさんくささが」

これを読んで思い出したのは、名大医学科には、学生のうちから論文をたくさん読むことを勧める教員が少なくないことである。 もちろん、論文を読むこと自体は、勉強になり、良いことではあろう。 ただし、基礎があやふやで学識が浅く、その論文の裏側を推測し疑う能力の乏しい学生の場合、無闇に「論文から知識を得る」ことには危険な側面もあることを、忘れてはなるまい。

もう一つ、気になる箇所があった。岸の発言である。

ある化合物を 熱を出した たくさんの患者に飲ませてみる すると多くの人の熱が下がった 効果がある それだけわかればいい 「なぜか」なんて 僕たちには正直どうでもいい

これは、さすがに、どうかと思う。 もちろん、薬の作用機序の全てを解明し、理解することは不可能である。 しかし、ある程度まで、少なくとも簡略な薬理学的機序がわかっていないと、怖くて、薬など使えない。 特に、高齢者で、やむなく 5 種類、10 種類、あるいは 20 種類もの薬を併用しているような患者の場合、 それらが、いかなる相互作用を引き起こすのか、統計的に調べることなど不可能である。 そうした患者の場合、頼りになるのは生化学、生理学、薬理学、病理学といった基礎医学からの論理的推測のみである。 それ以外にも、非定型的な所見のある患者について、薬剤の適否を判断するには、統計は頼りにならない。 「なぜか」というのは、我々にとって、非常に重要なのである。

岸は優秀な病理医であるから、たぶん、本当に「薬理なんか、どうでもいい」と思っての発言ではないだろう。 しかし、ある種の勘違いが一部の学生や医師の間に広まっている現状において、語弊のある表現は避けてほしかった。


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