これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2015/09/14 ウイルス性肝炎

同じ標題で9 月 4 日に書いた内容について、ウイルス学者の某氏から、批判を頂戴した。 全く適切な指摘であり、先の記事は、論理や表現に多くの問題があった。申し訳ない。 少々の追記で補えるようなものではないため、大幅な修正を加えて再掲する。

教科書的には、肝炎の原因となるウイルスには、肝炎ウイルスの他に Epstein-Barr ウイルス (EBV)、サイトメガロウイルス (CMV)、 単純ヘルペスウイルス (HSV) がある、とされている。 稀ではあるがヒトヘルペスウイルス 6 型 (HHV-6) による肝炎の報告もある、としている文献もある。 さて、「あるウイルスによって肝炎が起こる」とは、正確には、どういう意味だろうか。

ある感染症について、ある微生物が原因であるとするための必要十分条件として、 19 世紀ドイツの解剖学者である Friedrich Gustav Jacov Henle が唱えた「ヘンレの三原則」が有名である。 このヘンレは、腎臓の「ヘンレの係蹄」などで知られる、あのヘンレである。 ヘンレの三原則とは、医学書院『標準微生物学』第 12 版によれば 1) 病変部に、必ず、その微生物が存在しなければならない; 2) その微生物は、その疾患にだけ見いだされなければならない; 3) その微生物を培養して感受性のある動物に接種すると、その疾患にならなくてはならない、というものである。 さらに、ヘンレの流れを汲む感染症学の巨人 Heinrich Hermann Robert Koch は、 4) その接種されて疾患を患った動物から、同一の微生物が分離されねばならない、というものを加えて「コッホの四原則」を唱えた。

よくよく考えてみると 2) の条件は不適切である。 ヘンレやコッホは、当該微生物が「たまたま、そこに居合わせただけの passenger」である可能性を除外するために、この条件を設けたのであろう。 しかし不顕性感染、つまり感染しているが発病していない、という状態はあっても良いから、この条件は厳しすぎる。 そこで考え直してみると、もし 1) 3) 4) を厳密に満足する passenger がいるとすれば、それはヒトに普遍的に寄生している微生物であろうから、 2') 健常者においては、その微生物に感染していない例がある、というような形に変形すれば、合理的に passenger を除外でき、十分である。 ここでは便宜上、これを「改変コッホの四原則」と呼ぶことにしよう。

しかし現実には、改変コッホの四原則を満足する形で病原性が示されることは稀である。特に 3) や 4) は、倫理的制約もあり、実験的証明が困難だからである。 肝炎の原因となることが既に証明されている B 型肝炎ウイルス (HBV) や C 型肝炎ウイルス (HCV) の場合、 ウイルスの発見より前に、不幸にしてこれらを意図せず接種したために肝炎となった患者が多数いたから、 ウイルスの分離にさえ成功すれば、改変コッホの四原則を満足することが可能であった。 もちろん、このウイルス分離の過程には多大な苦労があったのだが、その辺りの事情については 2004 年の「日本臨床」62 巻増刊号 7, 8 (ウイルス性肝炎 上、下) で簡潔に紹介されている。

EBV, CMV, HSV については、肝炎患者の肝臓で増殖している例が多数報告されている。 特に EBV については、細胞傷害性 T 細胞によって感染細胞が破壊されたり、ウイルス炎症性サイトカインがウイルス抗原に反応して放出されたりするらしい。 「だから、EBV が肝炎の原因なのだろう」と考えたくなるし、その考えは、たぶん、合っている。 不顕性感染も多いが、ある種の素因を有するヒトに限定して、ウイルス感染が肝炎を惹起するのであろう。

しかし、ヘンレやコッホに倣って緻密で厳密な論理を尊ぶ病理学者の立場からすれば、証拠不十分である。 何か未知の、免疫系を狂わせるような疾患があって、その結果として自己免疫のような格好で肝細胞傷害を生じ、 それと並行して、普段は抑えられていたヘルペス科ウイルスの再活性化を招く、という可能性を否定できないからである。 実際、患者の肝臓で当該ウイルスの増殖が起こっているらしい、というような報告は多数、あるのだが、 「当該ウイルス感染の結果として肝炎が生じた」と主張している報告は、みあたらない。 特に HHV-6 に関しては、原因不明の肝炎患者の肝臓において、定量 PCR でウイルスゲノムの増加を確認した、という程度の報告でしかなく、肝炎との因果関係は不明である。

では、どうすれば、これらのウイルスが肝炎の原因であると証明できたことになるのか。 改変コッホの四原則に相当するだけの根拠として、次のような病理学的事実を確認する必要があるだろう。 まず、ウイルスが肝細胞傷害を引き起こす機序について、ウイルス自体の細胞変性効果によるものなのか、細胞傷害性 T 細胞によるものなのかを明らかにする必要がある。 前者であれば、そうした細胞変性効果を、後者であれば CD8 陽性 T 細胞の集簇や、その T 細胞がウイルス由来エピトープに対して反応することを、 患者の肝臓において組織学的に確認せねばならない。 さらに、これが非常に重要な点なのであるが、非感染細胞は基本的には傷害を受けない、という事実が必要である。 そうでなければ、ウイルスの増殖が、原因ではなく、肝炎の結果である可能性が残るからである。 もちろん、これを実際に証明するのは容易ではない。大抵、まきぞえを食う形で、非感染細胞も炎症に巻き込まれるからである。 しかし、そうした証拠があって、初めて、改変コッホの四原則に相当するだけの根拠とすることができる。


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