これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
他大学がどうかは知らぬが、名大医学科の学生は、非常に協調性が高い。
たとえば、鶴舞キャンパスの図書館棟一階のピロティや、基礎研究棟の入口前には、大量に自転車が駐輪されている。 特に、図書館棟についていえば、階段前に自転車が並べられているため、通行人は、階段の一番端の、僅かに空いている部分を通らねばならない。 もちろん、通行の便宜や美観の観点から、こうした場所は駐輪禁止指定されているし、そうでなくても、社会常識として、駐輪を避けるべき場所である。 さらにいえば、こうしたピロティや建物入口から 10 m 程度の場所に露天ではあるが正規の駐輪場があるし、30 m 程度の位置には屋根付きの駐輪場があるのだが、 そこまで移動するのが面倒だから、こうした場所に駐輪するのであろう。 その上で「他人に迷惑を掛けてはいない」と主張するあたりが厚顔無恥なのであるが、たぶん、 「自分は迷惑に感じないから、他人も迷惑には感じていないはずだ」という自己中心的な発想なのだと思われる。 あるいは、「禁止されているとはいえ、他の人もやっているのだから、自分もやって良いはずだ」という幼稚園児的な発想なのかもしれぬ。
以前にも書いたが、図書館における振舞も品行方正である。 たとえば飲食や私語について指摘を受けても、他の人もやっている、だとか、お前も私語をしているではないか、といった言い訳をする。 本来ならば小学校あたりで身につけるべき基本的社会性を欠如していると言わざるを得ない。 特に「お前も同じではないか」という弁明については、「だから、お互いにやめよう」とならずに「だから、俺もやって良いのだ」という論理を展開するあたり、 高い倫理規範を持っているといえよう。
なぜ、こうなってしまったのか。 一つには、名大医学科の閉鎖的な村社会構造、不条理な、いわゆる体育会的な上下関係に問題があるように思われる。 個々人が社会規範に照らして行動を決定するのではなく、直接関係のある先輩や上司の指示に従って、行動は決定される。 すなわち、先輩が「別に、図書館下に自転車を置いても良いんじゃないの」と言えば、それは、良いのである。 先輩が「図書館で弁当を食べるのは構わない」と言うのだから、それは構わないのである。 もちろん、ここでいう「先輩」とは部活動の上級生などに限定するのであって、直接的な接点のない上級生は含まれない。
こういう環境で育った学生が、はたして、まともな医療を提供できるのか。 「患者中心の医療」などと妄言を述べてはいるが、こうした社会的配慮の欠落した人間に、それが可能であるとは、とても思われない。
(2015.09.02 追記) 図書館棟一階ピロティの自転車については、少し前に当局により一斉撤去されて以来、慎しむ者が増えたらしく、以前よりは、だいぶマシになっている。 不正駐輪をやめたこと自体はよろしいのだが、撤去されなければやる、撤去されるならやらない、という判断基準は、いささか、卑屈な精神であるように思われる。 どちらかといえば、撤去されようがされまいが構わず不正駐輪する方が、行動の一貫性という意味においては、信頼できる。