これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2015/08/02 救急科研修の重要性

7 月 30 日の記事に追記を行った。

初期臨床研修に際しては、救急科における研修が重要である、とか、救急外来が重要である、とか、いわれることが多い。 しかし私には、なぜ、どのように重要なのか、よくわからなかった。 過日、たまたま iCrip magazine vol. 28 という医学科生向けのフリーマガジンを何気なくペラペラとめくっていて、この疑問が解消した。

iCrip に記載されていた「救急科研修が重要な 3 つの理由」というものを要約すると、次のようなことになる。 1) 医師として最低限必要な common disease への対応能力がつき、見逃してはいけない疾患を鑑別する能力が身につく。 2) 患者や家族らに対しする的を絞った質問などにより、必要最低限の情報を「短時間で」聴取する能力が身につく。 3) 迅速な対応が求められるプレッシャーの強い環境の中で経験を積める。

これらは要するに「救急医療の技術が身につく」と言っているのであって、「医師としての基本的な技量が身につく」と言っているわけではない。 1) については「common disease」という言葉の意味が不明確だが、「救急科で遭遇するような疾患を鑑別する訓練になる」という意味であろう。 2) は、救急診療における特殊技能であって、一般的な外来診療では、むしろ、ある程度の時間をかけてじっくりと話を聴くことが重要である。 3) も、一般には、それほど迅速さが求められることはない。初心者は、まず、時間をかけて正確にできるようになることが重要であろう。

また、「突然の疾病や外傷などに対応する救急医療は医療の原点とも言われている」という記述もあるが、誰が、どのような理由で、そのように主張しているのか不明である。 「病理学は医療の原点である」というならわかるが、なぜ、高度な専門技能である救急医療が原点なのか、理解できない。

このように、的を外した内容しか「救急科研修が重要な理由」として挙げられない、という事実は、「実は救急科研修が重要だとする理由はない」ことを示唆している。 実情は、たぶん、次のようなものであろう。 病院にもよるが、救急科としては、救急外来などにおいて「簡単な疾患」を「まわす」ための人手が欲しい。 それには、若くて元気のある研修医が最適である。 研修医にしても、救急外来は人手が足りないから、早期から主治医のような立場で活躍でき、充実感を満喫できる。

つまり、初期臨床研修において救急科を重要視することには、合理的根拠がない。

なお、社会的側面から、全ての医師に基本的な救急の経験は積んでおいてもらいたい、という事情はある。 市中で急病人が生じた際、たまたま近くに医者がいた場合、その医者が救急診療の経験皆無であるよりは、 たとえ研修医時代だけであったとしても、一応の経験者である方がありがたい、というものである。 しかし、そういうことを言い出したら、全ての医師は病理診断の経験を少しは積むべきだし、放射線科、臨床検査科、血液内科なども必修化するべきである。 救急科だけを特別扱いする理由にはならない。


戻る
Copyright (c) Francesco
Valid HTML 4.01 Transitional