これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2015/07/18 研究の目的

過日、北陸医大 (仮) の初期臨床医採用試験が行われた。採用試験といっても筆記試験はなく、面接のみである。 詳細な試験内容を書くことは控えるが、試験の終わり際に、試験官から、素晴しい言葉をいただいた。

私が「病理にせよ研究にせよ、最終的に患者を治すことが目的なのであり、その部分を忘れて、 論文を書くこと自体が研究の目的になってしまっては、よろしくない。」と述べたのに対し、 試験官は、次のような言葉を発したのである。 「論文の数を稼ぐための研究を進めていくというのは、北陸医大の目指す方向ではない。」 これを聞いて、私は、試験中であるにもかかわらず、泣きそうになった。 ほんとうは、この言葉は、名古屋大学医学部の先生方の口から聴きたかった。

論文を書く、というのは、あくまで研究成果を世に知らしめるための手段であって、決して、目的ではない。 ところが、研究そのものを生業にする人々や、教授の命令によって論文を書いている大学院生などにおいては、研究の本来の目的が忘れられ、 論文を書き、有名な雑誌に掲載されること自体が目的になりがちである。 一部の学問分野では impact factor なるものを、その研究者の業績を評価する指標として用いる風習があるらしい。 Impact factor というのは、トムソン・ロイターという会社が公表している、「雑誌の質」を評価するための指標である。 これは個々の論文や研究者の業績を評価するには不適である、ということを、トムソン・ロイター自体が明言していたと思うのだが、 なぜか、少なからぬ研究者が、業績を評価する目的で impact factor を使用している。 中には、これまでに書いた論文について、その掲載誌の impact factor の合計をもって業績の指標と考える人もいるらしいが、これは、全く無意味である。

論文自体を評価する指標としては、「その論文が他の論文に引用された回数」が用いられることもあるが、これも不適当である。 こちらについては、あまりに馬鹿馬鹿しいので、議論しない。

あたりまえのことだが、学問の業績に対して客観的な評価基準など、存在しないのである。

与えられた評価基準に適合すべく努めることに関しては、名古屋大学は優秀な大学かもしれない。しかし、私には関係のないことである。 私は、卒業したら、二度と名古屋の地には戻らないであろう。


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