これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
我々の「ベルヌーイの法則」に理論的説明を加える。 理論的、といっても、何も、流体力学の詳細な議論をしようというわけではなく、あくまで定性的な議論に徹する。 数学的な細かな部分、つまり「ベルヌーイの法則」の式において係数は何か、というようなことも、ほんとうは、重要である。 しかし率直に申しあげて、物理学的素養を欠く医学科生の手には余るであろうし、単に数式の変形だけを追いかけることになっては本質を失うから、ここでは省略するのである。
前回の実験において、我々は筒を締めつけているわけではないので、筒が中の水を押しているわけではない。 それにもかかわらず、筒の左側、つまり入口部分において、なぜ血圧は 0 より大きかったのだろうか。 実は、これは、ポンプか何かが水を押しているからである。
水道管を、蛇口から上流方向にたどっていくと、どこかにポンプか何かがある。 このポンプが働いているおかげで、我々は蛇口の栓をヒネるだけで、電源スイッチも何も押さずに、水を取り出すことができるのである。 あるいは集合住宅の場合、屋上あたりに貯水槽があって、そこから各家庭の蛇口まで単純な配管でつながっているかもしれない。 この場合、貯水槽に水を汲み上げるにはポンプを使うが、貯水槽から蛇口までは、単純に高低差で水は流れる。 とにかく、こういう何らかの仕掛けがない限り、水は動かないし、蛇口から出てくることもない。
ポンプが絡むと話がややこしくなるから、我々が実験に使った水道は、貯水槽から蛇口まで水が高低差に従って流れ落ちてくるタイプであることにしよう。 この場合、摩擦などで失われるエネルギーは 0 であると近似すれば、筒の右端から出てくる水の運動エネルギーは、 貯水槽から蛇口までの重力の位置エネルギー差に等しいはずである。
一方、筒の左端では、運動エネルギーは小さく、重力の位置エネルギーも 0 である。 エネルギーの保存を信じる立場からいえば、ここでは、第三の、新しいポテンシャルエネルギーのようなものとして蓄えられている、とみるしかあるまい。 実は、これが「圧力のエネルギー」なのであるが、これをキチンと示すには、どうしても微積分法か分子運動論のどちらかを使わなければならない。 しかし、いずれにしても読者は著しく興味を失う分野であろう。 ある種のテクニックを使って読者を「わかった気分」にさせることはできるかもしれないが、 そういう態度は、ゴットフリート・ライプニッツやダニエル・ベルヌーイらに対する敬意を欠くものであろう。 むしろ「何か小難しい議論が存在するらしい」で済ませて立ち入らない方が、いくぶん有益であるように思われる。
さて、正確な議論はよくわからないままであるが、力学の難しい理論によれば、 我々が臨床的に測定している「血圧」は、この「圧力のエネルギー」に相当するらしい。 そのことを踏まえて循環器生理学をみなおすと、世俗的なアンチョコ本が、いかにデタラメを書き連ねているかが、よくわかる。 そして残念なことに「ガイトン」のような名著でさえ、循環器まわりについては、不可解な記述が少なくないのである。
たとえば、いわゆる右心不全について「右心系から血液を送り出す力は弱まっている一方、静脈系からは心臓に血液が戻ってくるので、右心系の圧が高くなる」 というような説明を、どこかでみたことがある人は多いのではないか。 たぶん、この説明に納得した人は皆無であり、「そういうものなのだ」と無理矢理に納得しているのが多数派ではないか。 だいたい、右心系から出る量が減っているのだから、右心系に還ってくる量も減っているはずであり、一体、この説明は何を言っているのか理解できない。 我々の「ベルヌーイの法則」から考えても、この説明は、おかしい。 圧の大小が運動エネルギー、すなわち流れの速さ、さらには流れる量を決めるのであって、「還ってくるから圧が上がる」などという論理はない。
心不全で右心系の圧が上がるのは、単に、代償性に体液が貯留しているからに過ぎない。 むしろ左心系が比較的低圧なのであって、これは左室収縮能が相対的に高いからである。 この代償性の体液貯留については、スターリングの法則と関連して11 月 10 日に書いた。