これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
完全に専門家向けの話である。 第 105 回医師国家試験 A 問題には、おかしな出題が多い。とりわけ酷いのは A 21 であって、次のようなものである。
69 歳の男性。意識障害のため搬入された。1 年前から高血糖を指摘されていたが特に何もしなかった。
1 週前から風邪気味であったが、2、3 日前から咳と微熱を認め、前日から食事摂取が不良となった。
意識レベルは JCSII-30。身長 172 cm、体重 72 kg。呼吸数 16 / 分。脈拍 88 / 分、整。
血圧 104/88 mmHg。
舌の乾燥を認める。心音と呼吸音とに異常を認めない。
尿所見: 蛋白 (-)、糖 3+、ケトン体 (-)。
血液生化学所見: 血糖 760 mg/dL、HbA1c 7.8 % (基準 4.3〜5.8)。
抗 GAD 抗体陰性。
この患者の予想される検査結果に最も近いのはどれか。
a 尿比重 1.010
b Hb 11.5 g/dL
c 尿素窒素 46 mg/dL
d 動脈血 pH 7.15
e PaCO2 30 Torr
日本語がおかしい、とか、検査結果を予想させること自体がおかしい、とかいう点は、この際、抜きにしよう。 それでも、この問題は、おかしい。「正解」できた学生は、不勉強である。 正確にいえば、勉強の仕方がおかしい。
一応、日本国厚生労働省の公式見解では「c」が正解である。 友人の某君は、「非ケトン性高浸透圧昏睡だから、尿素窒素高値」なのだと教えてくれた。
糖尿病による意識障害には、何通りかの機序がある。 インスリンの打ち過ぎによる低血糖、というのは厳密にいえば糖尿病自体が原因ではないから、除外しよう。 教科書によっては乳酸アシドーシスを含めているものもあるが、これも糖尿病を直接の原因とはしないので、ここでは考えない。 すると、残りは概ね 2 通りである。
一つは、いわゆる糖尿病性ケトアシドーシスによる昏睡である。 糖尿病というのは、ものすごく平たくいえば、グルコースの利用障害が全身で生じる疾患である。 細胞内でグルコースが欠乏した結果、肝臓などで脂肪酸の β 酸化が亢進し、いわゆるケトン体が生じる。 このうちヒドロキシ酪酸は酸性なので、結果的にアシドーシスを来す。 このとき、詳しい機序はよくわからないのだが、諸々の代謝異常のために意識障害を来すようである。
もう一つが、いわゆる非ケトン性高浸透圧昏睡である。 これは感染などを契機に、急性にインスリン作用が低下することで生じる。 感染がインスリン作用の低下を引き起こすこと自体は生理的な反応だが、これによって糖尿病を発症することもある。 著しい場合には、急激に著明な高血糖および脱水を来すことがある。
高血糖による脱水は、いわゆる浸透圧利尿、として説明する教科書が多いが、いささか論理に無理があるように思われる。 というのも、通常、高血糖状態では血漿だけでなく組織液中のグルコースも多いのだから、浸透圧利尿が働くとは思われない。 何か別の機構が存在するのであろう。
ともあれ、機序はよくわからないが、とにかく脱水が高血糖に併されば、血漿浸透圧が急激に高くなることがある。 このとき、オスモライトと呼ばれるアミノ酸などの代謝・輸送による細胞内外の浸透圧較差の調節が間に合わず、脳萎縮が生じ、意識障害を来す恐れがある。
以上の議論からわかるように、非ケトン性高浸透圧昏睡は、必ずしも腎機能障害を背景に持たない。 インスリン作用の減弱により糖新生が亢進し、尿素産生が増加する可能性はあるが、検査所見がどうなるかは、何ともいえない。 冒頭の症例において、与えられた情報からは、血中尿素窒素濃度が高値になると考える理由はないのである。 某予備校のテキストでは「非ケトン性高浸透圧昏睡では尿素窒素高値」などと書かれているようだが、彼らが学んでいるのは、医学ではない何かである。