これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2015/11/24 機会は均等か

現在の日本の社会制度は、みかけ上、男女の機会均等が、かなりの程度は担保されている。 大学入試では基本的に男女差別はないことになっているし、むしろ「女子大」というものが存在する分だけ、女性が優遇されているようにみえる。 企業の人事においても、性別を理由にした採用や昇進の差別は禁止されている。 恐るべきは、「禁止されているのだから、ほとんど存在しないだろう」などと信じている世間知らずが、意外と世の中には存在するらしいことである。 社会の中にあっては、実際上は性別を理由とした採用や昇進の差別が、何らかの名目をでっちあげた上で公然と行われていることなど、常識である。

蒙昧な男性陣にはみえにくいところで、女性に対する著しい蔑視は存在する。 たとえば大学における講義の際、男性講師の中には、女子学生を「女の子」呼ばわりする者がいる。 同様に男子学生を「男の子」と呼ぶならともかく、女性だけをそのように呼ぶのは、女性を男性より低くみている証拠である。 また、学会発表や研究指導の場において、女子学生に対しては批判が緩くなってはいないか。 講義中のセクハラ発言も、かなり多い。 就職活動に際して、男子学生はネクタイ着用が事実上、必須である一方で、女子学生は胸元が少し開いたブラウスが容認されるのは、一体、どういうことなのか。 なぜ、女性は化粧をすることが当然であるかのように言われるのか。 飲み会で、なぜ、女性には男性より少なく請求するのか。 食べる量が云々という理屈は、単なる名目に過ぎない。 我々のように酒を飲まない男性も、当然のように満額を払っているのである。

一部の鉄道会社が導入している「女性専用車両」の類も危険である。 性犯罪から女性を保護するため、という目的は、一見、合理的に思われるかもしれないが、実際のところ、これは南アフリカ共和国におけるアパルトヘイトと同じ発想である。 アパルトヘイトも元々は、犯罪者に黒人が多いという統計的事実に基づき、白人を保護するための「合理的」な政策だったのである。 「女性を保護しなければならない」という理由で男性と女性に不平等を設けることは、不適切な男女分離を定着させる恐れがある。 犯罪予防のためにどうしても女性専用車両が必要であるならば、同様に男性専用車両も設けなければ、おかしい。

なんだ、その程度か、という感想を抱いた男性は、少なくないであろう。 まさに、その通りであって、一つ一つは、どれも大した問題ではない。 内心では明確な差別的意識を持っている一方で、体裁だけは平等を装っているところに、日本社会の陰湿さがある。 差別によって作り上げた利権を守るための巧妙な手法といえよう。

医師関係についていえば、厚生労働省、都道府県、さらに大学といった、さまざまな単位で、「女性医師キャリア支援」のようなプロジェクトが存在する。 女性であるが故の、医師として生きていく上での諸々の悩みが存在し、それを支援するためのプロジェクトである、と私は認識している。 しかし、このようなプロジェクトが存在すること、需要があること自体が異常である。 もし日本社会がまっとうであるならば、女性であること自体は、キャリア形成において何らの障害にもならないはずである。


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