これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2015/11/23 本人が納得している問題

さて、男女隔差、あるいは男女差別を議論するにあたって問題となるのが「本人が納得しているなら、それで良いではないか」 あるいは「機会は均等なのだから」という意見である。順番に議論しよう。

「本人が納得しているのだから」という主張をする人々は、奴隷制度を、どのように考えているのだろうか。 古代ローマの時代から奴隷、あるいはそれに類する身分制度は存在し、欧州ではフランス革命より少し後、 あるいは米国では南北戦争の頃まで続いていた。 我らがアジア諸国では、第二次世界大戦より少し後になるまで、植民地という形での奴隷制度は存続した。 なお、この意味においては、大日本帝国による朝鮮併合は、植民地化にあたらない。

歴史上、奴隷が武装蜂起などの形で支配者に抵抗した例は多い。 しかし、その多くは衣食や労働などの待遇に対する不満によるものであって、身分の相違そのものを不満として蜂起した例は、少ない。 基本的に、奴隷の圧倒的多数は、奴隷たる身分そのものは受容し、納得していたのである。 もちろん、それは、身分の差異が存在することを当然であると教育され、信じ込まされていたが故なのであるが、結果として納得していたのは事実であろう。

「本人が納得しているのだから」と主張する男女分離主義者は、こうした奴隷制度をも肯定するのか。 良心的な男女分離主義者の中には「奴隷は、生まれながらにして身分が定められている点が、男女隔差の問題と異なる」と述べる者もいるだろう。 そのように「本人が納得しているかどうかの問題ではない」と認めていただけるなら、よろしい。 しかし、中には「奴隷制度も、本人が納得しているなら問題ない」と主張する者もいるだろう。 そうした差別主義者に対しては、遺憾ながら、我々は説得の術を持たない。

人は生まれながらにして平等である、という理念は、歴史的には当然のものではなかった。 これはフランス革命の頃に生まれ、先人達が血を代償として勝ち取り、我々に遺してくれた偉大な財産であり、これがために我々の社会は野獣と一線を画しているのである。 それを放り棄て、人を生まれによって分離しようとする差別主義者に対し、我々は、毅然として戦わねばならぬ。

本人が納得しているかどうかは、関係ない。言うまでもなく、女性は、人間である。 人間である以上、そこには、生物学的に必然といえる限度を超えた隔差は、あってはならない。 それが平等というものである。 特に、この不当な男女隔差を容認している一部の女性は、自分達が人間扱いされていないという事実を認識するべきである。

「機会は均等なのだから」という意見については、既に部分的に反論を述べたが、次回、追加の議論を行う。


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