これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2015/11/19 Fontan 変法

昨日の続きである。 なお、昨日は「肺動脈弁がついたまま、肺動脈を右心房に吻合する」と記してしまったが、これは誤りであるので、修正した。

Fontan 手術の基本的な理念は、動脈血と静脈血の混合を避ける、ということである。これは良い。有益である。 しかし肺循環への駆動力として右心房を使うのは、まずい。 なぜか右心房が拡大し、肺循環の血流が減少するのみでなく、血栓が形成され、肺塞栓症を来す恐れもある。

Fontan は、右心房を肺循環の駆出ポンプとして利用する際に、肺動脈から右心房へ、また右心房から下大静脈への血液の逆流が問題になると考えていた。 そこで彼は、他人の死体から得た大動脈弁または肺動脈弁を 2 箇所、すなわち、肺動脈と右心房の吻合部、および下大静脈と右心房の境界部に移植した。 しかし実際には、この弁移植は不要であることが知られるようになった。 さらに M. R. de Leval らは、右心房自体も、どうやら肺循環への駆出力として働いていないらしい、 ということを実験的に示した。(Journal of Thoracic and Cardiovascular Surgery 96, 682-695 (1988).) Fontan の考えは、一見、自明なようであったが、実は単なる思い込みに過ぎなかったのである。

この de Leval の提案した手法が、現在でも用いられている心内型 total cavopulmonary connection (TCPC) である。 これは、人工血管を右心房内に通すことで、右心房の助けを借りずに、下大静脈からの静脈血を直接、右肺動脈に流し込むものである。 なお、人工血管は心臓の外側を通すこともあり、これは心外型 TCPC と呼ばれる。 心内型にせよ心外型にせよ、上大静脈は Glenn 手術の要領で右肺動脈に吻合する。

ヤヤコシイことに、上大静脈の右肺動脈への吻合と、下大静脈の右肺動脈への吻合は、現在では同時には行わない。 正確にいえば、乳児期の手術で血管自体は一度に繋いでしまうのだが、下大静脈と右肺動脈の吻合面は、当面は塞いでおき、1-5 歳頃に、この封鎖を取り除くのである。 というのも、いきなり上下の大静脈を右肺動脈につないでしまうと、急激な肺循環血流量の変化のために高度の胸水などを生じ、危険である、ということらしい。 このあたりには、リンパ管の発達具合が関係するかのようなことを昨日紹介した T. B. Fredenburg は書いているが、 Glycocalyx が云々という話も関係するのではないかと、私はニラんでいる。

ところで話は戻るが、Fontan 原法について、先行する Glenn 手術は理屈としては省略可能である、という点は、当然、Fontan も認識していただろう。 こうした「無駄」な操作を彼が行った理由については、よくわからない。 ひょっとすると、de Leval が示したような流体力学的特性を Fontan は既に薄々と感じており、Glenn 手術を省略することが重大な問題を引き起こすと予感していたのかもしれぬ。 そうだとすれば、Fontan の外科医としての勘は、恐るべきものであったと言わざるを得ない。

さて、これらの歴史的経緯から、我々は何を学ぶか。 外科の臨床実習において、一部の教育熱心な医師は、一つ一つの操作には重大な意義があり、それらをよく認識して実施せねばならぬ、ということを強調していた。 操作の意義を理解する、ということは、その手法が開発された歴史的経緯を理解する、ということと表裏一体であろう。 しかし、学生向けの初歩的な外科の教科書には、そうした部分が記されておらず、手術操作の内容だけが簡略に示されている。 そうした操作内容と名称を記憶すること自体は、学生にとって、意味のあることとは思われない。


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