これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2015/10/07 病理医と臨床医

専門家向けの話である。 以前、ある医師から、次のような話を聴いたことがある。 実際の症例なのか創作なのかは知らないが、一応、細部を適度に脚色して記す。

ある 50 歳台の女性が、消化管の腫瘍を疑われて入院した。 内視鏡的には悪性腫瘍が疑われた。 超音波内視鏡では、いわゆる第 3 層に圧排性の菲薄化がみられた。 また、狭帯域内視鏡では不整な血管の増生を認めた。 念のため生検を行ったが、病理部は、腺腫、すなわち良性腫瘍であると診断した。 しかし担当医は臨床所見から、粘膜下層への浸潤を伴う悪性腫瘍であると強く確信していたため、悪性腫瘍に対する標準的な術式で外科的切除を行った。 切除標本に対する術後病理診断では、粘膜に限局する悪性腫瘍と診断された。

医学科低学年生のために、少しだけ専門用語を説明しておこう。 超音波内視鏡では、組織学的構造に対応した信号強度の差異を検出することができる。 粘膜に相当する部分は第 1 層および第 2 層と呼ばれ、第 3 層というのは粘膜下層にあたる。 ついでにいえば、第 4 層とは固有筋層にあたる部分であり、第 5 層は漿膜下層である。 狭帯域内視鏡というのは、限定的な波長だけを選択することにより、浅い部分にある血管を透かしてみるシステムのことである。

さて、上述の症例において、明らかに不適切であったのは、担当医が病理診断を依頼した上で、その結果を無視したことである。 どうせ病理診断の結果を無視するのであれば、初めから、生検をせずに手術を行うべきであった。 そうしなかったのは、生検をせずに手術した場合、術後病理診断で「実は良性でした」と言われると困るからであろう。 その場合、明らかに医療過誤、それも重大な過失によるものとみなされ、多大な賠償責任を免れ得ない。 そこで、責任逃れの手段として病理診断を利用したものと思われる。

病理部から「良性」と言われて、担当医は困った。 臨床的には明らかに悪性だと信じているのに、病理医は「違う」と言っているのである。 本当であれば、このとき、その担当医は病理部を訪問し、説明を求めるべきであった。 しかし、その病院では病理医と臨床医のコミュニケーションが不足しており、とても気軽に議論できる空気ではなかった。 そこでやむなく、担当医は「まぁ、生検した部位が悪かったのだろう」と解釈して、手術に踏み切ったのである。 なお、この点については病理部の方にも、重大な責任がある。 臨床医の診断を否定するのであれば、臨床所見と病理組織学的所見の乖離について、合理的な説明を行うべきであった。

さて、手術で得られた標本を顕微鏡で観察して、今度は病理部の方が困った。 担当医は「粘膜下層への浸潤を伴う悪性腫瘍」と診断したが、そのような浸潤は、みられなかったのである。 超音波内視鏡所見で「圧排性の菲薄化」があったものの、これは本当に「圧排」であって「浸潤」ではなく、つまり良性腫瘍であることを示す所見であった。 だが、よくみると粘膜の一部に悪性のようにもみえる部分があった。いわゆる carcinoma in adenoma である。 そのため、診断としては「粘膜内の悪性腫瘍」ということになったのである。 もしかすると、本当は carcinoma in adenoma ではなく、純然たる良性腫瘍であったのかもしれない。 しかし、悪性とみなして手術を行った後で「実は良性でした」などと病理診断すれば、担当医の立場が非常に悪くなり、 「良好な職場環境の維持」という観点からは重大な問題になる。 そこで「良性のようにみえるが、まぁ、悪性のようにみえなくもない」部分を強調して「悪性腫瘍」と診断する、というような「配慮」が、なされたのである。

あたりまえのことであるが、そういう意味での「良好な職場環境」よりも、患者の利益が優先されるべきである。 しかし、多くの医師や学生は、病院内の「秩序」を患者の利益よりも重視する行動をとりがちであるように思われる。

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