これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2015/11/13 臨床医療と倫理

世間の流れに、学生が無責任に迎合するという風潮は、科学研究だけでなく、臨床医療においてもみられる。 それなりに勉強した学生であれば、教科書やガイドライン等に記載に対し、多少の疑問を持つことがあるだろう。 その時「おかしいではないか」と批判的意見を述べるのではなく、「それが標準なのだ」「統計的に、そうなっているのだ」などと、 無理矢理に納得してしまう学生が多いのではないかと思われる。

「まだ私は勉強が足りないので、教科書やガイドラインを批判できる域に達していない」と述べる者もいるが、それは、言い訳にならない。 我々は学生なのだから、勉強が足りないのは当然である。しかし、不勉強な者は物事を批判してはならない、という決まりはない。 もし不勉強ゆえに的外れな批判をしたならば、それに気づいた時点で訂正すれば済むだけのことなのである。 要するに彼らは、ウカツなことを言って反撃を受けたくない、ニラまれたくない、戦いたくないのであって、臆病なだけである。 それも一つの生き方ではあるかもしれないが、それならば「患者のため」というようなことは、金輪際、口にしないでいただきたい。 実際、「俺は自分の立身出世のために医者になるのであって、患者を救いたいとは思っていない」などと豪語する学生も稀に存在する。 彼らは藪医者候補生であり、人格に重大な問題があるが、正直者であるという点において、多少は信頼できる。

上述のような、教科書やガイドラインに対する接し方の問題は、些末なことかもしれぬ。 問題は、臨床実習における振舞である。

学生は、もちろん医師ではないから、医行為は、できない。 「医行為」というのは「適切に実施しなければ患者に害を及ぼす恐れのある行為」全般を指し、基本的には医師でなければ行うことができない。 ただし看護師等が医師の指示に基づいて、診療の補助として行うことは保健師助産師看護師法で認められている。 医学科の学生は、実習上の必要に応じて、医師の監督および指導の下に一部の医行為を行うことがあるが、明確な法的根拠は存在しない。 当然であるが、これは通常の診療の一環とはいえないから、事前に患者の同意を得ることが必須である、と、されている。

しかし現実には、患者の同意を得ずに、学生に医行為を行わせることがある。 私の経験でいえば、某病院の産婦人科において、指導医の指示により内診や経膣超音波検査を行ったことがあるが、患者から明確な同意を得た記憶はない。 もしかすると、そもそも患者は、そこに学生がいるという事実自体を認識していなかったかもしれない。 また、ある病院では、全身麻酔下の手術を終える際に、皮膚をステープラーで閉鎖する操作を行ったこともある。 私は、こうした手技の経験は乏しい方であるらしく、「積極的」な学生は、手術中などに「やらせてください」と言って、もっとイロイロ経験しているようである。

理由は知らぬが、少なくとも愛知県界隈の病院の外科では、こうした「積極的」な学生が高く評価されるらしい。 しかし、事前に患者から同意を得ていないという事実を考えると、こうした実習のあり方は、倫理的に重大な問題があるように思われる。 もちろん、大抵の大学病院では、入口あたりに「学生の実習にご協力ください」というような掲示がなされているが、 これをもって「患者の同意を得ている」と主張することはできない。

基本的に学生は、職員とは明確に形状の異なる名札を胸につけているので、注意してみればすぐに判別できる。 しかし、上述のような実態を知らずに病院を受診している患者は、そこに学生が立っているということ自体、認識できないかもしれない。 特に市中病院の場合、学生が実習に来ているということを知らない患者も多いのではないか。

この日記を読んでくれている人の中に、医療関係者でない人がいるならば、ご忠告申し上げる。 学生の同席を拒むことは、患者が持つ当然の権利である。 実際、我々は「学生が同席する場合、必ず、患者から承諾を得ねばならない」と教育されているし、「患者には拒む権利がある」とも認識している。 もし、事前の承諾なしに学生が同席しているように思われた場合、「あれは誰か」と確認した上で、病院に猛抗議して良い。 というより、抗議するべきである。


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