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2015/11/09 スターリングの心臓の法則

大抵の生理学の教科書には、心臓の働きについて「スターリングの法則」あるいは「フランク-スターリングの法則」というものが記載されている。 しかし、この「法則」の内容を正確に、自信を持って説明できる学生は、ほとんど、いないであろう。 というのも、この「法則」をキチンと説明している教科書が皆無だからである。

最も普及していると思われる説明は「心臓の一回拍出量は、拡張期に流入した血液の量によって決まる」というものであると思われる。 これを教わった学生側の心中に湧き起こる最も自然な感想は「そんなの、あたりまえじゃないか。入って来る量と、出て行く量は、同じに決まっているじゃないか。」 というものであろう。 至極当然の疑問であるが、このあたりをキチンと説明している教科書に、私は出会ったことがない。 「ガイトン 生理学」、医学書院『標準生理学』第 8 版、MEDSi 『ハーバード大学テキスト 心臓病の病態生理』第 3 版あたりは、いずれも、上述の学生の疑問には答えてくれない。 一方、南江堂『シンプル生理学』改訂第 6 版は「心臓の拍出量は動脈血圧には関係せず」という一言を入れており、他と一線を画している。 この教科書は初心者向けの、大学でいえば一年生向けのものであるが、こうした基礎的な事項について正確な説明がなされており、たいへん、良い。 膜電位についても、生理学の教科書の中では『シンプル生理学』が最も明確に記述している。 とはいえ、『シンプル生理学』の説明も、まだ不正確である。

スターリングの法則と呼ばれるのは、Ernest Henry Starling が 1914 年頃の一連の報告で述べたものであって、その内容自体は、現代の教科書の説明の通りである。 しかしスターリングの法則が真に意味する所を理解するためには、当時の生理学の「常識」を、まず知らなければならない。 当時の歴史背景について A. M. Katz がレビュー (Circulation 106, 2986-2992 (2002).) を書いているので、これに基づいて簡略にまとめることにしよう。 なお、この法則をよくまとめて世に知らしめたのはスターリングであるが、それより前にフランクらが既に同じ内容を指摘していたことを、スターリング自身が紹介している。

「心臓をたくさん拡張させれば拍出量は増える」という事実は、スターリングよりもはるか前に知られており、最初の報告者は 1856 年の Carl Ludwig であるという。 これを受けて 19 世紀後半には、動物の心臓を取り出して、静脈側に圧力をかけて心拍出量を調べる、という実験が、たくさん行われた。 この時点では「静脈側の血圧を上げると、なぜか心拍出量が増える」というような理解が一般的だったようである。 これに対し 1890 年頃、Roy と Adami は、「循環血液量」が増えると心拍出量が増える、という関係を指摘し、 さらに「動脈血圧が上がっても心拍出量は減らない」と述べた。 単純に考えると、血液は心室圧と動脈血圧の差に従って流出するのだから、動脈血圧が高い時には、心拍出量は減りそうである。 しかし実際にはそうなっていない、ということを彼らは指摘したのである。 その背景にある機構として、動脈血圧が高い時には、今日でいう「収縮末期容積」が増大することを示し、 収縮末期圧も高くなるから「心室圧と動脈血圧の差」は小さくならないのだ、と説明した。 実はそれまで、心室収縮期には心室は完全に虚脱し、心室内にはほとんど血液が残らない、と信じられていたのである。

そうした背景を踏まえて、スターリングは「静脈の圧には関係なく、流入した血液量そのものが拍出量を規定している」ということを実験的に示した。 「血圧は関係ない」という点が、最も重要なのである。 あるいは細胞の言葉でいえば「筋繊維の緊張」は関係なく「筋繊維の長さ」が問題なのだ、と、言っているのである。 これを強調してスターリングの法則を説明するならば 「心拍出量は、動脈系や静脈系の血圧には無関係であり、心室に流入した血液量によって定まる」と表現できよう。

現代の教科書は、スターリングの話をする前に筋細胞の構造を説明してしまうから、このあたりの衝撃が読者に伝わりにくい。 当時は筋肉の詳細な構造も知られていなかったし、アクチンとミオシンの sliding が云々、という説明が登場するのはスターリングの法則よりも 30 年後のことである。 筋肉自体は収縮する際に常に一定のエネルギーしか消費しない、と考えられており、 神経から強い刺激が加わると、その刺激の強さに応じたエネルギーが神経から筋肉に伝えられ、より強い収縮を引き起こす、とする意見が広く支持されていたらしい。 そういう時代なのだから、「力は関係ない、長さなのだ」という考えは、かなり非常識で、ショッキングだったようである。 なお、「動脈血圧には関係ない」というのは、スターリングではなく上述の Roy と Adami が示したのだから、その点においては『シンプル生理学』も不正確である。

実は、スターリングの恐ろしいところは、ここから先である。 彼は、力ではなく長さが心拍出量を決定する仕組みとして「筋繊維が長くなると、繊維の『活性表面』がより多く露出し、 結果として多くのエネルギーを収縮に費すことができるようになる」という機構の存在を予言した。 アクチンとミオシンが云々、などということは知らなかったはずなのに、今日の我々と同一の理解にまで到達していたのである。

さらにスターリングは、この考えを慢性心不全の病態にあてはめた。 当時、心不全でみられる心室の拡大は専ら病的な現象であると信じられていたのに対し、 スターリングは、これは生理的代償反応であり、代償の限度を超えた場合に致死的となる、と指摘したのである。 今日でいう「代償性心不全」と「非代償性心不全」の概念そのものである。

2017.01.01 脱字修正

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