これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2015/11/03 補足

昨日の記事には、いささか誤解を招きかねない部分があったように思われるので、二点、補足する。

第一に「肺気腫の場合、呼気時に気道が閉塞し、いわゆる閉塞性障害を来し、結果として残気量が増加する」という部分である。 これは、通俗的な説明を無批判に引用してしまったが、よくよく考えると、あまり正確な表現ではない。 吸気時と呼気時の肺容積の変化を理屈で考えると、次のようになるだろう。

呼吸の過渡的な状態を議論するとややこしくなるので、今回は、力の釣り合いが成立している最大吸気時や最大呼気時だけを比較することにしよう。 まず基本的な話であるが、胸膜腔は、若干ながら陰圧、つまり大気圧よりも少しだけ圧力が低くなっている。 その圧力差は、胸郭や肺の間質、および胸膜の弾性によって支えられている。 これが、健常者に比べて、肺気腫の場合や、間質の繊維化がある場合にどうなるか、という問題を考える。

肺気腫というのは、繊維化を伴わない肺胞壁の破壊が生じたものをいう。 この場合、肺全体の大きさが健常者と変わらないと近似すれば、間質が減った分だけ、全肺気量は増加したことになる。 もし、呼吸に伴う肺胞壁の変形具合は健常者と肺気腫患者で同様である、と仮定するならば、この全肺気量の増加分は、そのまま残気量の増加分になる。 実際には、間質が減ることにより、 肺胞壁は、より抵抗なく変形することができる。 このため、肺活量は少し増加し、残気量の増加分は全肺気量の増加分よりは少なくなる。 なお、この際、肺活量は増加しているものの、間質、すなわち血管は減っているのだから、ガス交換の効率は低下していることに注意を要する。 この現象を「残気量が充分に小さくならないうちに呼出が終わる」と解釈することで、慣習的に「肺気腫は閉塞性障害である」と表現されているが、 実際に閉塞が起こっているわけではない。

では肺気腫を伴わない間質の繊維化はどうか。 繊維化というのは、基本的には膠原繊維の増生である。 間質の弾性は主として弾性繊維によって担われているのであって、膠原繊維は、比較的、弾性に乏しい。 俗な喩えをすれば、弾性繊維はゴム風船のようなものであって、膠原繊維は紙風船のようなものである。 しぼんだ風船の中の空気を吹き込むことを考えると、ゴム風船の場合は壁の弾性力のために、内圧の変化の割に体積変化は緩徐である。 これに対し紙風船の場合、一定の範囲までであれば、容易に膨らませることができる。 ただし、パンパンに膨らんだ状態から、さらに膨らませることを考えると、ゴム風船なら頑張れば少しは膨らむのに対し、 紙風船は膨らまない。無理に空気を押し込めば、破裂してしまう。

基本的には、この風船と同じことが肺についても起こる。 間質の繊維化がある場合、生理的な範囲に限っていえば、壁の可動性が向上することで、残気量は減ることがある。 しかし、頑張っても膨らまないのだから、全肺気量や肺活量は減る。いわゆる拘束性障害である。 特に進行した間質性肺炎であれば、壁が肥厚することによる肺胞腔の減少も、肺活量の減少に寄与するであろう。 なお、「無理に空気を押し込めば、破裂する」という現象は、人工呼吸の際に、現実に起こる。

第二は、くだらない話であるが、医師国家試験についてである。 昨日の私の批判に対し、一部の学生からは「まぁ、少しの紛れはあるかもしれないが、一番正しそうな選択肢は、迷わず選べるだろう」という意見があると思われる。 それに対する反論である。

昨日の潰瘍性大腸炎の例でいえば、出題者が「患者」の話をしているのか「疾患」の話をしているのか、問題文からは読み取れない。 サイトメガロウイルス性腸炎と潰瘍性大腸炎は別疾患である、という認識を忘れた学生だけが、迷いなく「正解」できるのである。 肺の例についても、CT は形態学的検査に過ぎず、そこから機能を類推せよというのが、そもそも無理な注文である。 もちろん、放射線医学をわかっていれば機能を想像することはできるが、残気量は、わからない。 どちらも、医学的思考としては、解答不能なのである。 本当に医学的なことを考えているならば「CT 画像をみて、最も適切と思われる診断を選べ」という設問と、 「通常型間質性肺炎において最も典型的な検査所見を選べ」という二つの設問に分離するべきである。 それならば、紛れがない。

現在の医師国家試験は、無理に問題をヒネろうとした結果、医学的な論理を無視する格好になっている。 こうした連想ゲームで多くの学生が高得点を挙げているのは、単に、あなた方が予備校のビデオ講座や「クエスチョン・バンク」を通じて、半ば無意識に、 国家試験的思考を身につけているからに過ぎない。


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