これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2015/11/01 北海道大学

私は、大学院時代に、韓国の某大学との合同学術会議のために北海道大学を訪れたことがある。 その時、同大学の附属博物館を見学したのだが、そこで、同大学の黎明期に掲げられていたという二つの理念に、いたく感激した。

一つは「優れた教育者であるためには、まず第一に、優れた研究者でなければならぬ」というものである。 その意図するところは、次のようなものである。 自身が教わった内容を、そのままに、あるいは自身の経験をふまえて僅かに修正した上で他人に教える者は、並の教育者に過ぎない。 真に優れた教育者は、自身が学んだ内容の本質をよく理解し、批判的吟味を加え、適切な改良を施した上で、次代に引き継ぐものである。 この「よく理解し、吟味し、改良する」という行為が「研究」なのである。

名古屋大学医学部には、物事を覚えることばかりを重視し、批判し吟味することを疎かにする風潮がある。 臨床実習においても、体裁や形式を習うための指導ばかりが重視されていたように思われる。 そして臨床医の大半は、基礎医学に関心がない。 こうした環境において優れた研究者が育つはずがなく、必然的に、優れた教育者も生まれない。 それに対し北海道大学は、南山堂『解剖学講義』で知られる伊藤隆や、中山書店『あたらしい皮膚科学』の清水宏をはじめとして、多数の優れた教育者を輩出しているのである。

もう一つの理念は「政治の中心と学問の中心とは、必ずしも同一ではない」というものである。 英国におけるケンブリッジにせよ、米国におけるマサチューセッツにせよ、ロンドンやワシントンとは、いささか地理的に離れている。 そうした政治の中枢から離れることで、つまらない政治的社会的しがらみから解放された、自由な学問が育つのである。

その意味において、東京大学、京都大学、大阪大学といった強力な学閥の影響から離れ、 ひっそりと日本海に面している我が北陸医科大学 (仮) は、21 世紀後半から 22 世紀にかけての日本の医学を担うに相応しい立地といえよう。 何より北陸医大には、人をみる目のある教授陣が揃っている。


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