これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2015/10/29 多発性硬化症と視神経脊髄炎

私は不勉強な学生なので、内科学の試験が終わるまで「視神経脊髄炎」という疾患を知らなかった。 この疾患は欧米では稀なので、米国などの教科書を中心に学んでいる学生には馴染みがないであろうが、日本においては頻度が高く、有名であるらしい。 一昨日、Jamilah Project の関係で、この疾患について調べる機会があった。 なかなか面白い話であったので、ここに記録しておく。 `Greenfield's Neuropathology 9th Ed.' や `Merritt's Neurology 13th Ed' の記述を総合すると、次のような次第であるらしい。

多発性硬化症は、中枢神経系の慢性炎症性脱髄性疾患である。臨床的には増悪寛解を繰り返し、しばしば脊髄が冒される。 本疾患においては、詳細な機序は不明であるが、T 細胞の作用によって血液脳関門が非炎症性に機能障害を来すらしい。 中枢神経系は免疫租界であるから、血液脳関門が破綻すれば必然的に、自己免疫性の傷害を受ける。

視神経脊髄炎は、多発性硬化症に類似した疾患であるが、視神経と脊髄の両方が冒される。 歴史的には多発性硬化症の亜型とする意見も強かったが、近年、しばしば抗アクアポリン-4 抗体が生じることが発見され、多発性硬化症とは別疾患であると考えられるようになった。 アクアポリン-4 はアストロサイトに存在し、どうやら、本疾患では補体が活性化して膜攻撃複合体 (Membrane Attack Complex; MAC) を形成し、 アストロサイトの足突起を破壊するらしいのである。 このとき、多発性硬化症とは異なり壊死を伴うことがあり、そうした場合には好中球や好酸球が動員されるようである。 こうして血液脳関門が損なわれ、自己免疫性に中枢神経系が傷害を受ける。 つまり、本疾患の発症には、抗アクアポリン-4 抗体の産生に加えて、宿主細胞を補体から守る機構が少なくとも部分的には損なわれていることが必要であるらしい。

臨床的には、両者は再発予防のための治療法が異なるという意味で、鑑別を要する。 すなわち、視神経脊髄炎の再発予防にはグルココルチコイドの全身投与が有効であるのに対し、 多発性硬化症の再発予防にはグルココルチコイドは無効であり、インターフェロンβが良いとされる。

この違いは、次のように理解できる。 多発性硬化症における血液脳関門の破綻は、詳細な機序は不明であるが、上述のように非炎症性であるため、グルココルチコイドは効かないのである。 インターフェロンの働きはよくわからないが、俗な表現をすれば「細胞に守りを固めさせる」ものであるから、T 細胞による血液脳関門の破壊を免れる効果があるのだろう。 実はウイルス感染症である、という可能性もある。 これに対し視神経脊髄炎は炎症によるアストロサイト傷害が問題なのだから、グルココルチコイドなどの抗炎症薬が有効である。

私が昨日述べたのは、つまり、こういうことなのである。 名大医学科では「理屈なんか、臨床的にはどうでもいい。多発性硬化症の再発予防はインターフェロンで、 視神経脊髄炎はグルココルチコイドだ、という知識が重要なのである。その知識だけあれば患者を治せるし、知識がなければ患者を治せない。」という論理が、まかり通っている。 もちろん、神経内科医を十年もやっているような医者が、そのような知識すら持っていなかったならば「あなたは一体、十年間、何をやってきたのか」と言われても仕方がない。 しかし、学生や研修医、あるいは他科の医者が、そのような知識を持っていることが、はたして、必要であろうか。 教科書をみれば、あるいはコンピューター上で文献を検索すれば、済む話ではないか。 法的なことを別にすれば、優秀な看護師と一台のコンピューターさえあれば充分なのであって、知識の豊富な医者など、いらないのである。 学生や研修医に求められる「医師として備えているべき教養」とは、そうした知識の蓄積のことではない。

2016.06.12 Greenfield 先生の名を失礼にも Greenfields と誤記していた点を修正

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