これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2015/12/17 言葉遣い

過去にも何度か書いたが、昨今の医学教育の現場においては、言葉の乱れが著しい。 英語でいう fibre の訳語として「繊維」ではなく「線維」を使うとか、「腹腔」を「ふくこう」ではなく「ふくくう」と読む、とかいう慣習についても議論はあるだろうが、 ここで言っているのは、もっと低レベルな話である。

言葉遣いというものは重要であって、本当は、そのあたりのことを「教養」として一年生の頃に修めることになっている。 しかし、名大医学科の場合、そうした教養教育は機能していないようである。 さらにいえば、たぶん、他大学でも事情は似ているのではないかと思われる。

たとえば医師国家試験の問題をみると「意識は清明。」などの体言止めを、しばしばみかける。なぜ「意識は清明である。」と書かないのか。 また「血液所見: 赤血球 196 万」などの表現もある。赤血球の何を調べた所見なのか。単位は何なのか。何もわからない。 もちろん臨床的には、診療録にこうした方法で記載する医師は少なくないのだが、それは、あくまで悪い見本である。

また、臨床医や、中途半端な「お勉強」をした医学科生などは「白血球が上がる」などの表現をする。 これは、正確にいえば「白血球が増加する」あるいは「白血球数が高くなる」という意味である。 さらに厳密なことをいうと「白血球が増加する」と「白血球数が高くなる」では意味が異なる。 前者は、「生理反応として白血球が増えている」という意味であるのに対し、後者は「検査所見として白血球数の値が高い」という意味になる。 検査上の誤差を考えると、この両者は同義ではない。

医学科では、なぜか確率論や統計学を教えないし、自主的に勉強しようという学生も少ないから、だいたい「誤差」というものを理解していない。 医師向けの「統計入門書」の類をみると、その内容は、だいたい、ひどいものである。初歩の初歩しか書かれておらず、とても実用レベルには届いていない。 たぶん、それ以上の詳しい議論をしようとすると、誰も読まなくなるのであろう。 もちろん、それでまともに診断や研究ができるはずはないのに、何かを勘違いしている医師や学生は多いようである。 このあたりに義憤を感じる臨床検査技師や臨床検査医は少なくないようだが、なぜか臨床現場では、検査部は「脇役」という扱いなのである。

裸の王様なのである。 そういう発想だから誤診するのだ、ということを、わかっていない。 自分の見識不足、思慮不足、勉強不足ゆえの過ちを「不可抗力だ」などと弁明し、その害を一方的に患者に被らせるのである。

要するに、考えていないのである。教わった知識を受け売りしているだけであって、自分の頭では理解していない。 だから、ことあるごとに「知識」という言葉が口から出てくるのであろう。

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