これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
一昨日で、二回に分かれた内科学の試験が終了した。ひょっとすると合格したかもしれない。
私は、生来、意志薄弱であるから、こうした名大医学科の環境にいると、もしかしたら私の方が間違っているのかもしれない、と、思ってしまうことが時々ある。 過去問をみて試験対策をし、国家試験に向けて知識を習得し、総論を無視して各論を覚える、という勉強法が、医療においては正しいのではないか、と思ってしまうのである。 なにしろ、天下の名古屋大学のセンセイ方や厚生労働省の医師国家試験が、そういう学習方法を推奨しているのだから、 世界の先端を行く日本国が公式にそういう勉強方法を推奨しているのだから、それが正しいのではないかと、思ってしまうのである。
これだけ医者嫌いで、工学部や大学院時代の経験に支えられている私でさえ、こうなのだから、高卒で医学科に来た人々が「あのように」なるのは、無理からぬことである。 この強い圧力に、立ち向かえという方が無茶な要求である。
他大学のことは知らぬが、名古屋大学の場合、臨床的な知識が豊富な学生や研修医が「優秀だ」とみなされる傾向が強い。 なにしろ、この大学においては「勉強する」とは「覚える」という意味なのだから、知識が多いことは、よく勉強したことの証拠なのである。 これに対し、実習中などに生化学や生理学、あるいは病理学や薬理学的な疑問を呈する学生は「基礎向きである」と評されることが多いように思われる。 「基礎向き」という語は、この場合、「臨床医には向いていない」という意味で使われている。
こうして若者達の才能を覆い隠し、狭小な枠に嵌め込む教育が医学科に蔓延している以上、日本の医学と医療の未来は暗い。 そうした時代にあって、医学の灯を守っていくことが、私に課された使命であると認識している。 また、医学科の中にも外にも、ひっそりと私を応援してくださる方がいることは承知している。 そうした方々のおかげで、何とか、私は戦っていけそうである。