これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2015/10/25 膜電位 (前半)

10 月 27 日の記事も参照されたい

10 月 6 日に低カリウム血症について書いたが、細胞の観点からカリウムについて、思考実験に基づく考察をする。 よくわかっている人にとっては当たり前の内容であろうが、たぶん、多くの医者は、このあたりのことを全然わかっていない。

神経細胞を例に考える。 まず静止状態においても、一定数のカリウムチャネルは開口している。これは leak channel などと呼ばれるものである。 細胞が興奮した後、再分極する際には、膜電位に多少のアンダーシュートがみられる。 これは電位依存性カリウムチャネルが開口した結果、カリウムの膜透過性が静止状態よりも亢進しており、膜電位がカリウムの静止電位に近づくためであると説明される。 では、もし細胞に何らかの細工を施して、普通の神経細胞に比べて 2 倍の数の leak channel が静止状態において開口しているようにしたら、膜電位は、どうなるであろうか。 私の想像では、「普通の神経細胞よりも静止膜電位が低く、つまり『より深いマイナス』になる」と答える学生が多いのではないか。 しかし実は、逆であって、普通の神経細胞よりも静止電位は大きく、つまりゼロに近づく。

この思考実験は、Goldman-Hodgkin-Katz の式の弱点を浮き掘りにしているように思われる。 あの式には「なぜ、細胞内外にイオン濃度差が生じているのか」という点が考慮されていないため、実際の現象との間に、いささかの誤差を生じるのである。 `Guyton and Hall Textbook of Medical Physiology 13th Ed.' によれば、この誤差は、だいたい 4 mV であるらしい。 この「ガイトン生理学」という教科書は、生理現象を理論的に説明する名著なのではあるが、この誤差については 「Na+-K+ ポンプの影響」とだけ書いてウヤムヤにしている。

極端な例として、細胞膜のイオンチャネルが全て閉じている場合を考えよう。 このとき、全てのイオンについて膜透過性が 0 であるから、Goldman-Hodgkin-Katz の式は使えないことに注意を要する。 この状況では、 Na+-K+ ポンプの働きにより細胞内外に電位差が生じるが、その電位差があまりに大きくなると、 電気化学的勾配のため、ポンプを介した正味のイオンの移動は、なくなる。

この状況で、ほんの少しだけ、膜のカリウムチャネルを開口させたとしよう。 すると、細胞内のカリウムがチャネルを介して細胞外にチョロチョロと流出する一方、 Na+-K+ ポンプはナトリウムを細胞外に、カリウムを細胞内に、と移動させる。 もし、カリウムチャネルが厳密にカリウムだけを通過させ、ナトリウムを全く通さないのであれば、ポンプの働きは、やがて止まってしまう。 なぜならば、外に汲み出すナトリウムイオンが枯渇するからである。 しかし現実には、カリウムチャネルは少しだけナトリウムイオンも通すらしい。 「ガイトン生理学」によれば、だいたい、カリウムとナトリウムの透過性の比は 100:1 ぐらいであるという。 このおかげで、ATP が供給される限りは、ポンプはいつまでも回り続けることができ、またチャネルを介してカリウムは細胞外へと流出し続けることになる。 一種の平衡状態である。

では、このとき、細胞内外のカリウム濃度比は、どうなっているであろうか。 これは、ポンプとチャネルの活性のバランスによる。 ポンプの活性がチャネルの活性よりもずっと高ければ、チャネルが開いていなかった時と同じぐらいの濃度比になるであろう。 一方、もしチャネルの活性の方がずっと高ければ、細胞内外のイオン濃度は、ほとんど同じになるに違いない。 平衡状態であるから、Goldman-Hodgkin-Katz の式を使って、イオン濃度比を膜電位に換算することができる。 すると、ポンプの活性が高い場合の膜電位は「かなり深いマイナス」であるのに対し、チャネルの活性が高い場合は「ほとんど 0」ということになる。 このように考えると、実は膜電位は、形式的にはイオン濃度比で決まっているが、根本的にはポンプとチャネルのバランスで決まっていることになる。

ここで最初の問題を振り返ると、なるほど、カリウムチャネルがたくさん開いている細胞では、膜電位は比較的 0 に近いところで平衡になる、ということがわかる。 神経細胞のアンダーシュートは、非平衡の状態における、一過性の現象に過ぎないのである。

実は本題は、ここからである。 が、長くなってきたので、また明日にしよう。


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