これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
今さらであるが、浸透圧について書くことにする。 というのも、「浸透圧とはどういう性質のものか」を大半の学生は漠然と知っているであろうが、 「なぜ浸透圧が生じるのか」という点については、ほとんどの学生が理解していないと思われるからである。 Wikipediaの浸透圧の項をみても、 浸透圧の成因については記載がない。英語版 Wikipediaの Osmotic pressureも、熱力学的な説明はあるが、 物理や化学の専門家でなければ理解できないような記述になっている。
医学書院『標準生理学』第 8 版では、浸透圧について化学ポテンシャルを用いた説明がなされている。これは理論としては正しい説明なのだが、 一体、どういう学生を想定して記載したのか、理解できない。物理や化学の学生ならともかく、普通の医科学生や医師が、あれを理解できるとは思われない。 その点、`Guyton and Hall Textbook of Medical Physiology 13th Ed' や、日本語版の『ガイトン 生理学 原書第 11 版』は、現実的な医科学生を念頭に置いて、 平易で定性的な説明に徹している。 浸透圧の成因を簡潔に述べれば「溶質が存在するために水が押しのけられており、水分子が半透膜に衝突する機会が減じているから」ということである。 これは、一見、子供だましの誤魔化しであるようにみえるかもしれないが、詳しく分子運動論的な議論をしてみると、実はこれが本当であるらしい、ということがわかる。 基本的には液体と気体は同じような分子運動論で議論できる。 つまり浸透圧の議論は、気体の分圧と同じように考えることができるので、関心のある人は、高校時代に学んだ物理を思い出しながら検討してみると良い。
浸透圧について、多くの学生が疑問に思いつつも、敢えて気にしないことにしている問題は「なぜ、浸透圧は分子の大きさに依存しないのか」という点であろう。 これについては、「本当は分子の質量や大きさに依存している」というのが真相である。 「浸透圧は分子の大きさに依存しない」という理論は、分子が全て理想溶液である、という仮定を用いて初めて導出できる。 理想溶液というのは、高校時代に物理で学んだ「理想気体」の液体版である。 実在の分子には質量も大きさもあるから、この理想溶液に基づく理論は厳密には成立しない。 というより、液体の場合は気体に比べて分子間の相互作用が強いから、この理想溶液の概念は、かなり無理をした、強引な近似法である。 しかしながら生物学では圧力について、それほど高精度な議論や測定が行われておらず、理想溶液近似を用いても実用上の問題が生じていないから、 便宜上、分子の数だけで決まるとみなしている。
世俗的な解釈に基づけば、たとえば 0.5 mmol / L の塩化ナトリウム溶液も、1 mmol / L のグルコース溶液も浸透圧は同じで、だいたい 1 mOsm / kg ということになるが、 厳密な理論では両者の浸透圧は少しだけ異なる。 では、1 Osm という量の厳密な定義は何なのかというと、私の調べた限りでは、よくわからない。 たぶん、Osmole という概念自体が、理想溶液近似の上にのみ成立しているのではないかと思われる。 そこで次のような疑問が湧いてくるであろう。 「臨床検査医学では、どのようにして浸透圧を測定しているのだろうか?」
金原出版『臨床検査法提要』改訂第 34 版によれば、浸透圧の測定は氷点降下法によって行うらしい。 これは、理想溶液近似の下で、水の凝固点は溶質 1 mol / kg あたり 1.858 K だけ低下する、という法則を用いるものである。 あくまで、理想溶液近似なのである。 従って、イオンなどの小さな粒子による浸透圧を議論する分にはよろしいが、グルコースや、あるいはデンプンなどの大きな分子による浸透圧を議論するのであれば、 測定値と真の浸透圧の間には、いささかの誤差が生じる。 ただし、幸か不幸か、臨床医療の現場においては、そのような浸透圧の繊細な相違を問題にする精度での処置は行われていない。