これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
本日は降誕祭であるが、私はキリスト教徒ではなく類キリスト教徒であるから、特別なことは、しない。
さて、過日、我が名古屋大学医学部附属病院における原発性肺癌見逃しの事例が公表された。 本件について厳しい批判があるのは当然のことであるが、インターネット上では、事実誤認に基づく的外れな意見も多い。 批判しようとする者は、曖昧な伝聞だけを根拠とせず、まず 調査報告書の概要 を読むべきである。
概略だけを簡略に述べると、腎癌に対し根治的腎摘除術を受けた 40 歳代の男性について、転移の有無を検索する目的の CT を複数回施行したが、 原発性肺癌の存在を 2012 年 6 月まで見落としていた、ということである。 結果として肺癌に対する対処が遅れ、当該男性は 2014 年 3 月に死亡した。 腎摘除を受けたのは 2007 年 5 月であり、報告書によれば、遅くとも 2009 年 5 月の時点で原発性肺癌に気づくべきであった、とのことである。
この報告書を読んだ感想を二点、述べよう。
まず第一は「2009 年 5 月の時点で気づくべきであった」という点についてである。 報告書概要には、2008 年 10 月と 2009 年 5 月の CT が掲載されている。 その画像をみて、私は「これをみて肺癌を疑えるのか」と、舌を巻いた。 当たりまえのことではあるが、プロフェッショナルに比べれば、私の目などはフシアナである。
この病変があるのは、横隔膜に近い S8 と呼ばれる領域である。 CT を撮影する度に、横隔膜の位置は多少はずれてしまうし、また、心臓の動きも止めることはできない。 そのため、このあたりの領域は、撮影毎に肺の位置や形が少しずつ異なってしまう。 従って、どうということはない陳旧性病変と肺癌とを鑑別することが難しいのである。
第二は、主治医たる泌尿器科医が読影に関与しなかったことについて「画像検査の最終確認は依頼者の責任であり」としている点である。 少なくとも名大病院の場合、放射線科医は画像を読影して「レポート」は書くが、これは診断書ではない。 診断するのはあくまで臨床医であり、責任は臨床医が負う、ということになっている。 この体制は、はたして、本当に適切なのだろうか。
たとえば、乳癌患者に対しセンチネルリンパ節生検を施行して転移陰性と病理診断したにもかかわらずリンパ節郭清を強行した、となれば、病理医は激怒するであろう。 もちろん、リンパ節転移が認められなくても念のため郭清する、という発想はあり得るが、それならばリンパ節生検自体を省略するべきである。 従って、病理診断が誤りであると考える充分に合理的な理由を示せない限り、そのリンパ節郭清は不適切な医療行為であり、傷害罪の疑いがある。 仮に合理的理由があったとしても、診断にあたった病理医との協議なしに郭清することは、倫理的な問題が大きい。
これに対して放射線診断の場合、そもそも放射線科医は「所見」と「印象」を述べているだけであり、「診断」しているのは臨床医だ、という建前になっている。 つまり法令上のことだけでいえば、この読影レポートを書くのに医師免許は不要であり、技師でも良いことになる。 従って、臨床医がレポートの内容に納得しなかった場合に、黙ってそれを無視したとしても、 医師同士の信頼関係を損ねる恐れはあるが、病理診断の場合ほど重大な問題にはならない。
かつての、放射線検査といえば単純なレントゲン画像と同義であった時代ならいざ知らず、CT や MRI の普及により放射線診断が進歩した現代において、 放射線科医が診断責任を負わないことは合理的であろうか。