これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2015/12/24 卒業式

あと 3 箇月ほどで卒業式である。 10 年ほど前の話になるが、私は、京都大学の卒業式は欠席した。それは、次のような理由からであった。

2002 年 4 月の入学式には出席した。当時の総長である長尾さんは、国立大学の法人化が議論されていた時期に、国立大学協会の会長を務めていたように思う。 現実的には法人化は避けられぬという事情と、学問の自由を守らねばならぬという責務との間で、最善を尽くして奮闘されているように、私にはみえた。 その長尾さんが総長であるから、何か面白い話が聴けるかもしれぬ、と思い、ノコノコと入学式に出かけたのである。 しかし、実際には、あまりコレという話もなかったように思う。何も印象に残っていない。

卒業の時には、総長は尾池さんに代わっていた。 人が代わったのだから、今度は面白い話があるかもしれぬ、と思い、出席するつもりであった。 しかし当日、本部キャンパスから会場である体育館に移動する際に「やっぱり、やめた」と思いなおした。 周囲の学生をみて、嫌気がさしたのである。 理由は知らぬし、現在がどうなのかも存ぜぬが、当時の京都大学の卒業式には仮装して出席する者が稀ではなく、半ば、お祭り騒ぎのようなものであった。

私は、権威とか格式とかいうものが嫌いであるから、そういう式典を茶化すような行為には、むしろ好感をおぼえる。 ただし、茶化すのは、キチンと学生生活を送った上でのことでなければならぬ。 当時の京都大学の学生の間には、学問をやろう、という気概は乏しく、ウマいこと過去問やカンニングを駆使して試験で点数を稼ぎ、 単位を掠めとることを良しとする風潮があった。 カンニングの現場を私自身は確認したことがないが、試験直前に、ノートや参考書の類を異常に小さくコピーした紙片をみかけることはあった。 また、カンニングが発覚したので単位取り消しに処す、という掲示をみたこともある。

さらに、講義の際も、教室に存在する学生は多いが、ただ教員の話を聴いてノートに記述するばかりであった。 講義中に質問や意見表明をする者は稀であり、本当に講義に参加している者は、物理工学科二百余名のうち 10 人にも満たなかったであろう。 一応、名大医学科の学生諸君を擁護しておくが、京大物理工学科にくらべると名大医学科は、 教員自身が、講義中に学生が発言することを歓迎しない雰囲気を作ってしまっている。 従って、名大医学科で講義中に学生が発言しないことは、必ずしも学生ばかりが責められるべき性質のものではない。

話を元に戻すが、そういう、ただ単位だけを獲得して「京大卒」の肩書を世間に対して振りかざそうとする連中を、私は認めなかったし、 彼らと並んで卒業式に出席することを、拒んだのである。

さて、名古屋大学の方であるが、私は、つい先日まで、卒業式の類は全て欠席する方針であった。 現状の医学科教育に対して含む所があるので、「欠席理由書」のようなものを提出してボイコットしようと思っていたのである。 本当は講義や実習をボイコットしたかったのだが、学生間の連帯が期待できぬ現状では、私が留年するだけに終わるであろうから、それは避けた。 なお、謝恩会については全く別の理由による欠席なのだが、それは、全てが終わってから書くことにしよう。

以上のようなことを考えていたのだが、過日、北陸医大の病理学教授から「始めと終わりは、キチンとした方が良い」と諭された。 従って、学位記授与式には出席する所存である。


戻る
Copyright (c) Francesco
Valid HTML 4.01 Transitional