これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2015/10/01 学生有志勉強会

何度か、学生有志勉強会の呼びかけを行ったことがある。 いずれも参加者が集まらずに企画倒れになったり、あるいは参加者が漸減して自然消滅した。 ことごとく失敗に終わった原因について、同級生の幾人かは、問題点を指摘してくれた。 彼らの意見は、少なくとも部分的には理解できたが、しかし、同意はできなかった。

今の名大医学科には、学生が医学を議論する場が欠如している。 わからないことを調べ、覚え、発表する機会は存在するが、そこには二つの重要な段階が不足している。

一つは調べた後にあるべき「咀嚼し理解する」という段階である。 たとえば薬剤の作用機序や適応、禁忌などを、多くの学生は暗記するばかりで、批判的検討を加えない。 「なぜ禁忌か」という説明を暗記することはあっても、「本当にダメなのか」という疑問を口にすることは稀であろう。

もう一つは議論する段階である。文献に記されていない、自身の頭脳で捻り出した内容を、互いに議論する場が乏しい。 研究室などに通っている一部の学生は、研究室内でそういう議論をしているのかもしれない。 また、友人同士で集まって行う勉強会では、活発な討論がなされているのかもしれない。 しかし、医学科全体としては、情熱を込めて医学を語り合う空気を欠いているように思われる。 これが、東海一の名門、名古屋大学なのか。

発言をしにくい気持ちは、理解できる。 程度の低い質問をしてしまったら恥ずかしい、という気持ちも、わかる。 しかし、本当に優れた科学者は、くだらない質問をする者を馬鹿にすることはない。 あなたの質問を嗤う者の方こそ、知性に乏しいのである。 くだらない質問をする者は、常に、何も質問しない者より偉いのである。 それを思えば、どうして、挙手することをためらう必要があろうか。

京都帝国大学医学部出身の、名古屋で活躍し 20 世紀末に没した、ある病理医は、晩年、次のように記した。

... 名古屋には、基礎的な学問、少なくとも医学やその関連領域は育たないと言われてきたが、それはやはり本当のように思える。...

... 日本には残念ながら、教育の場と学位を授ける場はあっても、まだ創造の場がないのが実情である。...

「正しい知識」や「最先端のスキル」を習得することばかりを重視し、狭い社会の中で、既に敷かれたレールの上を、必死に歩こうとしてはいないか。


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