これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
循環器生理学を学ぶ際には、これまでに述べたベルヌーイの定理を念頭に置いて教科書を読むと、わかりやすい。 正確にいえば、「教科書の、この記述は、おかしい」ということを、自信を持って指摘しながら読み進めることができる。 この日記で循環器生理学の全体を復習することは避けるが、いくつかの、しばしば学生や医師に誤解されている点だけを指摘しておこう。
まず、「血液は圧力の高い方から低い方に流れる」という決まりは、ない。 12 月 21 日に行ったのと同様の実験において、筒の両端は断面積が 1 cm2 であるのに対し、 中央付近の断面積は 2 cm2 であるような場合について考えよう。 この場合、両端付近に比べると中央付近では水の流れが緩やかなはずであり、従って運動エネルギーも小さい。 エネルギー保存の観点から、あるいはベルヌーイの定理から、中央付近は圧力が少し大きいことになる。 つまり、左端と中央付近で比べると、水は、圧力の低い方から高い方へと流れているのである。 先日述べたように、圧力というのは単なるポテンシャルエネルギーの一種であり、「流体を動かそうとする力」のようなものではない。
人体についていえば、血圧は、心臓から血液を送り出す駆出力を表しているわけではない。 「ガイトン」によれば、心室収縮期においては、太い動脈の血圧は大動脈の血圧より少しだけ高いらしい。 これは、こうした太い動脈の断面積の総和が大動脈の断面積より大きいためであろう。 もちろん、これは太い動脈から大動脈へと血液が逆流しているのではなく、上述の水の例と同じことである。 さらに極端な例としては、心停止した人に対してたくさん輸液を行えば、「血圧は高いが、血液は流れていない」という状況を作ることもできる。 ただし脈拍はないから、聴診法や、通常の非侵襲式自動血圧計では血圧を測定できず、カテーテルによる血管内血圧計を用いる必要はある。
では圧勾配はどうか。ふつう、動脈血圧は静脈血圧よりも高く、一見、「圧勾配に従って、血液は動脈から静脈の方向に流れている」というように、みえる。 これは、当たっていると言えなくもないが、あまり正確ではない。 流れに沿って圧力が下がるのは、摩擦や振動によりエネルギーが血管壁へ移り、血液からは失われた結果に過ぎない。 従って、もし摩擦が充分に小さく、また振動も起こらないならば、動脈血圧と静脈血圧の差は、ずっと小さくなるであろう。 精巧な物理学的実験下においては、たとえ圧較差がなくても、液体は、流れるのである。 そう考えると、「圧勾配と流れの向きは一致する」という観察事実は概ね正しいといえるが、「圧勾配があるから流れる」という因果関係は存在しない。
カリキュラムの形式上はどうだか知らぬが、現実には、こうした基礎的な力学を修めずに医師になる者が多いようである。 循環器内科や心臓外科を志望する学生ですら、このあたりは怪しい。 医科物理学の重要性は、かつて京都帝国大学教授の前川孫二郎が格調高く指摘したのだが、 それから 70 年経った今日においても「物理など、臨床の役に立たぬ」などと放言する医師や学生が稀ではなくて、困る。