これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
よく知らないのだが、医師国家試験向け受験参考書などをみると、疾患やら何やらの分類を「わかりやすい」表にしてまとめてあることが多いらしい。 学生は、こうした表を一生懸命、覚えるわけである。
分類、といえば、入学して間もない三年生の頃の細菌学の講義が思い出される。 ある時、講義の終わりに、出席確認を兼ねて簡単なクイズが出された。 「細菌を分類することの意義は、何か。」というものである。 もちろん、このような問題に定まった正解などないのだから、各自、好き勝手なことを書けば良いのである。 しかし回答用紙を提出する際、ある学生の驚くべき回答が目に入った。 その学生は「わかりません。」とだけ、書いていたのである。 名大医学科の水準は、この程度か、と、非常に印象的であった。
分類というものは、天の神様だか学会だか誰かエラい先生だかが決めることであって、我々は、それを覚えるのが仕事である、などと思っているのだろう。 そういう勉強法の、一体、どこが面白いのか理解できないが、たぶん、彼らは暗記が大好きなのだと思われる。
この日記を、どういう人が読んでいるのかは知らないが、たぶん、一般大衆ではなく、医学関係者や学生が多いのではないかと思う。 そう考えると、私の文章の書き方も、少し、まずいかもしれない。 たとえば 1 月 26 日の記事の書き出しは「原発性胆汁性肝硬変と呼ばれる疾患がある。」というものであったし、類似の表現で始めた記事は少なくない。 私は、これらの表現を、小説などで用いられるような、ある種の文学的表現のつもりで用いている。 しかし昨今の医学科生の雰囲気をふまえると、あたかも「『原発性胆汁性肝硬変』という疾患が、天の神様が決めた真理として、存在する」などと 私が思っているかのように誤解されるかもしれぬ。
もちろん、私は「原発性胆汁性肝硬変」という疾病が、世の中の真理として存在するなどと思ってはいないし、その名称が適切であるとも思っていない。 現在の臨床医学では一つの疾病単位としてまとめられているから、便宜上、その名称を利用しているに過ぎない。 名称だとか分類だとかいうのは、その時点での我々の認識を反映して、便利だから使うに過ぎないのであって、断じて、絶対的な存在ではない。
そういう観点からすると、たとえば「分類が変わった」というような表現は、おかしい。 分類が変わったのではなく、「新しい分類法が提案された」のである。 また「○○を分類せよ」というような問いは、不適切ではないのだが、ほとんどどんな解答であっても正解になる。
このようなことは、たぶん、医学科以外の人にとっては当たり前すぎて、かえって、私が何を言っているのか伝わらないかもしれぬ。 しかし医学科では、「分類」というものが、まるで何かの聖典に書かれているかのように、絶対的な存在としてみなされることが稀ではないのである。