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2016/01/29 Reye 症候群

名前は聞いたことがあるが、イマイチ実体のよくわからない疾病に「Reye 症候群」というものがある。 教科書的には、ウイルス感染症を患った小児にアスピリンを投与すると、稀に重篤な肝傷害を来し、これを Reye 症候群と呼ぶ、などとしていることが多いと思われる。 致死率は高く、30 % 以上、などと報告されている。 小児に対してアスピリンの投与を避ける理由としては、副作用や急性中毒のリスクなどもあるが、この症候群を恐れている、ということが大きい。

薬理学を学んだ学生であれば、アスピリンが肝傷害を来す、という説明には首をかしげるであろう。 実際、丸善『ハーバード大学講義テキスト 臨床薬理学 原書 3 版』では、次のように慎重な表現に留められている。

発熱性ウイルス感染が進行中にアスピリン治療を施すと, 肝臓障害の潜在的な原因になると関係づけられてきた. アスピリンとライ症候群の因果関係は厳密には確立されていないが, ライ症候群のおそれを理由として, 一般的にはアスピリンは子どもに投与されない.

この症候群は、オーストラリアの R. D. K. Reye が 1963 年に報告したものである。(The Lancet 2, 749-752 (1963).) この時点ではアスピリンには言及されておらず、 小児において不明な原因により肝臓や腎臓に脂肪変性を来し、多彩な中枢神経症状を呈する致死的な症候群、として報告された。 当初、臨床的には脳炎や敗血症が疑われたが、解剖の結果では、それらを示唆する所見が得られなかったようである。 組織学的には、肝臓では広汎で一様な脂肪変性がみられ、また腎臓では近位尿細管の脂肪変性が著明である一方、 遠位尿細管には著明な異常がなく、血管や糸球体は正常である、と述べられている。 未知の病原体への感染の可能性も考えられたが、決定的な証拠はみつからなかった。 Reye らは、1951 年から 1962 年の間に経験した同様の 21 名の患者について、よくわからない症候群として、報告したのである。

この、いわゆる Reye 症候群とアスピリンの関係を疑う報告は、1980 年代前半に、症例対照研究として行われた。 しかし、これらの報告では、調査方法の問題から統計の信頼性が低いと考えられたようである。 そこで米国で 1985 年から 1986 年にかけて、これを補うために 27 の症例および 140 の対照例を用いた症例対照研究が行われた。 (The Journal of the American Medical Association 257, 1905-1911 (1987).) この調査では、Reye 症候群の患者ではアスピリンを投与されていた者の割合が高く、 アセトアミノフェンを投与されていた者の割合は低い、という結果が得られた。 このことから、Reye 症候群を避けるためには、アスピリンではなくアセトアミノフェンを用いた方が良いのではないか、と推定されたのである。

もちろん、症例対照研究というのは、様々なバイアスや交絡因子の入る信頼性の低い調査方法に過ぎない。 アスピリンと肝障害を結びつける理論的説明を欠くことも問題であった。 その後も疫学的な報告は度々行われたが、あくまで「アスピリンの関与が疑わしい」という範疇を出ず、それが原因かどうかは、よくわからなかった。

1990 年頃に、アスピリンの活性型であるサリチル酸がミトコンドリアにおけるβ酸化を阻害するらしい、ということが動物実験で報告された。 そして英国の J. F. T. Glasgow らは、健常者と Rye 症候群患者から得た繊維芽細胞を使った実験により、 Reye 症候群患者ではサリチル酸によるβ酸化阻害効果が亢進しているようだ、と述べた。 (Biochimica et Biophysica Acta 1454, 115-125 (1999).) サリチル酸が存在しない場合には、健常者でも Reye 症候群患者でも、β酸化の活性に差異はみられなかった。 一方、健常人でも高濃度のサリチル酸に曝されれば酵素活性は低下するが、 Reye 症候群患者では、低濃度のサリチル酸に曝されただけでも酵素活性の著明な低下がみられたのである。 たぶん、サリチル酸と標的酵素との親和性が亢進しているのだろう。

いまのところ、このβ酸化阻害が Reye 症候群の原因であるとする直接的な証拠は存在しない。 はたして、β酸化の阻害だけで、組織学的にみられるような著明な脂肪変性を生じるだろうか、という疑問もある。 しかし患者の多くには、よく調べるとβ酸化関連酵素の先天的異常がみつかるらしい。 このことから考えると、たぶん、ウイルス感染した患者の一部では、何らかの理由で脂肪の合成と分解が共に亢進しているのだろう。 これにβ酸化の阻害が加わった場合、急性に脂肪変性を生じ、時に重篤な障害を来すものと考えられる。


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