これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
一昨日、「上部消化管出血で血中尿素窒素濃度高値を呈することがある」という話をみて、首をかしげた。両者の因果関係が、よくわからなかったのである。 血中尿素窒素とは、血清中に尿素として存在している窒素のことである。 高窒素血症 azotemia という語は、アルブミン等に含まれる窒素を考慮するかどうかという点が曖昧なので本当は良くないのだが、 血中尿素窒素濃度高値と同義で用いられることが多いようである。
医学書院『臨床検査データブック 2015-2016』では、消化管出血が血中尿素窒素濃度高値を来す機序として 「腎臓における再吸収率の亢進」とのみ言及しており、意味がよくわからない。 単純に考えれば、出血により有効循環血液量が減少したことで糸球体瀘過量の減少やバソプレシンの分泌亢進を来し、尿素の再吸収が促される、ということであろう。 しかし、それであれば出血一般に成立する話であって、わざわざ「消化管出血」と限定するのは、おかしい。
世俗的には、血管から逸脱した血液が消化管から吸収されることで、いわば蛋白質が供給過剰な状態となり、 これが異化されることでアンモニアが産生され、結果的に尿素の産生量が増加するのだ、という説明があるらしい。 しかし、これは論理が成立していない。 その蛋白質は、もともと体内に存在したものである。 従って、その理屈に従えば、消化管出血により全身の窒素バランスが正味マイナスになる、ということになる。本当だろうか。 出血により血液量が減少したのだから、反応性に造血が亢進するはずであり、つまりアミノ酸需要は高まるのだから、尿素産生量は減ることはあっても、増えるとは思われない。 どうせ、どこかの予備校講師あたりが流布した俗説を、無思慮な学生が鵜呑みにしているのだろう、と思い、真相を探るため過去の文献を調べてみた。
消化管出血と血中尿素窒素濃度高値に関係があるらしい、ということは 1930 年代に指摘された。 この問題について散発的な報告が相次いだ後、1939 年に L. Schiff らが、まとまった報告を行った。 彼らは、ヒトの消化管内に血液を投与した後の血中尿素窒素濃度の経時変化が、 消化管出血に続く血中尿素窒素濃度の臨床経過と似ていることを指摘した。(The American Journal of Digestive Diseases 6, 597-602 (1939).) どうやら、この Schiff らの報告が、「血液が吸収されることで血中尿素窒素濃度高値を引き起こす」という考えの根拠になったようである。
それから 40 年経った 1980 年、T. Stellato らは Sciff の実験結果を批判する報告を行った。(The American Journal of Gastroenterology 73, 486-489 (1980).) Schiff の実験では上述の造血亢進や循環血液量減少の影響が考慮されていない上、尿素排泄能が実験結果に及ぼす影響について正しく評価できていない、というのである。 Stellato は、Ewing らが 1945 年に行ったイヌについての実験報告を引用し、 血液の経腸的な吸収による血中尿素窒素濃度への影響は、出血後、高々 24 時間に限定される、と述べた。 また、機序は不明ながらも、投与された血液量に比して血中尿素濃度の変化は小さく、 24 時間より後まで遷延して臨床的にみられる血中尿素濃度高値は、主に有効循環血液量減少による、とした。
以上の点については、論理の整合性から、Stellato の考えが正しい。 出血直後の 24 時間に関しては、造血亢進がまだ充分に起こっていないために、一過性に窒素バランスがマイナスになっているのだろう。 一方、悪性腫瘍などによる持続的な消化管出血の場合、造血亢進が追いつけば、この効果はみられないはずである。
従って、急性出血の直後を除いては、消化管出血そのものが血中尿素窒素濃度高値を来すことはない、といえる。 あくまで、それは有効循環血液量減少の結果なのである。