これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2016/03/26 卒業式と謝恩会

昨日は卒業式であった。 医師国家試験に際して、合格発表前に卒業証明書を厚生労働省に送付しなければならない都合上、医学科の卒業日は 3 月 10 日なのであるが、式典だけは他学部に合せて 25 日に行っているのである。 医学科の場合、他学部と合同で東山キャンパスで行われる卒業式の他に、医学科内での学位記授与式も行われ、私は、後者のみに参加した。 東山の卒業式では、総長が式辞において多様性を認めることの重要性を説いたらしく、たいへん、よろしい。

ところで、私は学位記授与式にはノーネクタイの普段着で参加したのだが、こうした軽装での参加者は他にいなかった。 なにしろ私は工学部出身なので、学術会議を含め、こうした学問の場においてフォーマルな服装をする、という発想がなかったのである。 別段、式典に反発する精神の表明として敢えて軽装で臨んだわけではないのだが、ひょっとすると、一部に誤解を招いたかもしれない。

さて、問題は謝恩会である。 私は、当初、謝恩会実行委員の委員長に任じられたのだが、結局は辞任し、謝恩会自体にも不参加であった。 これについては一部に誤解と反発を招いたようであるが、敢えて弁明するのも無用な混乱を招くと思い、黙っていた。 しかし説明を求める声もあったので、一応、ここで事情説明だけしておこう。

昨年 11 月の上旬に、謝恩会実行委員の会合が開かれ、謝恩会のおおまかな内容について討議された。 例年、名大医学科の謝恩会では「ベスト教授賞」などの賞を学生から教授に対して贈呈する、というような催しが行われているらしいが、私は、これに断固として反対した。 その理由は、第一に、感謝すべき相手、目上の相手に対して賞を与える、という形式は礼法に反し、一回だけのジョークとしてならともかく、慣例とすべきではない。 第二に、例年、賞を贈られる教員はごく一部であり、それ以外の教員との差別を設けるべきではない。 中には、この賞を楽しみにしている教授もいるらしいが、これは、相手が不快に感じるかどうか、という問題ではないから、関係ない。 特に、賞を与えられない教員に対し、学生が個人的に感謝を述べるのみで全体としての感謝の表明がないならば、謝恩会の趣旨に反する。

しかし私の主張は、全く、賛同を得られなかった。 私は、賞の廃止と、代わりに学生代表が感謝の言葉を述べて花束贈呈する、という内容を提案したのだが、準備が大変である、などの理由で受け入れられなかった。 私は「せめて、授賞式は謝恩会から形式的に分離する」という案を提出したが、むしろ 「何が問題なのかわからない。反対しているのは○○さん (私のこと) だけだろう。」 「授賞式ではなく○○さんを謝恩会から分離する方向でいこう。」 という案が通された。

こうして多数意見が押し通された以上、私としては、謝恩会に参加するわけにはいかないので、やむなく、不参加とした。 また、他の委員から「謝恩会に不参加なら委員も辞めろ」という声が第三者を介して伝えられた。それも一理はあるし、そうした声を無視してまで委員を続けるわけにもいかない、結局、辞任したわけである。 委員辞任については、私がヘソを曲げて放り投げた、と解釈した人も少なくないようである。 しかし私としては、本当は、形式的には不参加であるが準備係として会場を訪れる、という裏技を使いたかったので、これは、実に遺憾であった。

そもそも、謝恩会を開催するということ自体、どのようにして決定されたのか。 私の把握している限りでは、謝恩会を開くかどうかという点について、学年全体で議論されたことはない。 たぶん、例年開いているから、という理由で、趣旨も何も考えずに、ただ慣習に従って行われているのではないか。 本来、謝恩会とは、先生方に感謝の気持ちを述べる場が欲しい、という学生側の自発的感情に基づいて開かれる催しである。 それを「やめる理由がないから」「内容を変える必要性がないから」「苦情が出ているわけではないから」などという消極的な理由で継続することは、言語道断である。

ベスト教授賞にしても、もし、これが例年行われているのではなかったなら、私の意見に賛同する委員の方が多かったのではないか。 「慣習だから」「前回もそうだったから」というのは、理由にならない。 少なくとも、そういう無責任な発想が、医療の場には持ち込まれないことを期待する。


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