これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2016/01/20 尿素と 抗利尿ホルモン不適切分泌症候群 (SIADH)

きっかけは、些細なことであった。 また第 102 回医師国家試験の問題であるが、I 21 は次のような問題である。

ADH 不適合分泌症候群 < SIADH > について正しいのはどれか。

a 浮腫を認める。
b 尿量は減少する。
c 尿浸透圧は血漿浸透圧よりも高い。
d 血清尿素窒素は高値である。
e 血漿アルドステロン濃度は高値である。

SIADH というのは、何らかの事情により ADH が過剰に分泌されることによる症候群である。 従って、とても濃縮された尿が出るのだから、c は、まぁ、正しいと言って良いだろう。 「まぁ」というのは、水をガブガブ飲んでいる場合などには SIADH でも希釈尿が出る可能性はあり、一概に「高張尿が出る」と言い切るのは憚られるからである。 その一方で、この問題をみた時、私は d も正しいような気がしたのである。

SIADH においても、病初期などの過渡的な状況を別にすれば、電解質や尿素などの出入りは平衡状態にある。 つまり一日あたりの尿素排泄量は、だいたい普通ぐらいだと考えてよかろう。尿量は、水の摂取量などに依存するから、何ともいえない。 一方ADH は尿素トランスポーターの発現を促すのだから、 尿素の再吸収は亢進しているはずであり、結局のところ血中尿素濃度が普通よりも少し高いところが平衡点になるだろう、と考えたのである。 こうして振り返ってみると、私の思考が、いかにシンプルであったかが、わかる。

もちろん、この私の考えは誤りであって、典型的には、SIADH 患者における血中尿素濃度は普通ぐらいか、低めである。血漿ナトリウム濃度も、低いのが普通である。 その理由について、世俗的な説明では「希釈による」としていることが多いようである。 しかし、「希釈」の一言で片付けるのが間違いである、とまでは言わないが、あまり適切な表現であるようには思われない。

正確にいえば「糸球体瀘過量が増加しているから」である。 集合管では尿素の再吸収亢進にくらべて水の再吸収亢進が顕著であり、 一日あたりの尿素排泄量が普通で、糸球体瀘過量が多くなっているならば、定常状態における血中尿素窒素濃度は低くなることが、数学的にいえる。 一方、たとえば慢性腎不全で糸球体予備能が乏しい患者の場合、SIADH を発症することで血中尿素窒素濃度は高くなるであろう。 これを思えば、「希釈による」で済ませるのは、いささか乱暴である。

ところで、30 年以上前に、SIADH に対する治療として尿素を投与してはどうか、という治療法が提案され、近年になって、ようやく臨床応用されようとしている。 この分野の先駆的な文献としては、ベルギーの G. Deaux による報告 (The American Journal of Medicine 69, 99-106 (1980).) が有名なようである。 この報告では、SIADH で低ナトリウム血症を来す主たる原因は糸球体瀘過量の増加および近位尿細管における再吸収減少である、としており、希釈という説明は用いていない。 あたりまえのことであるが、こういうキチンとした人は、「希釈」などという曖昧な説明を嫌悪するのであろう。

Deaux は、臨床的に尿中のナトリウム濃度と尿素濃度との間に負の相関があり、 これは J. L. Stephenson の理論 (Kidney International 2, 85-94 (1972).) によって説明できるとした。 Stephenson の理論というのは、いわゆる対向流増幅系について数理的なモデルを用いて説明したものであって、 モデルの妥当性はよくわからないが、少なくとも論理は数学的に厳密であるようにみえる。

Stephenson のモデルでは、尿素は集合管で再吸収される一方、ヘンレの係蹄で、ある程度は分泌される、としている。 このモデルに従うと、尿素は、いわゆる浸透圧利尿をもたらす他、結果的にヘンレの係蹄におけるナトリウムの再吸収を促すので、 SIADH の治療に尿素投与が有効なのではないか、と考えられるのである。 この尿素とナトリウム再吸収との関係については、多少の説明を要するだろう。

ヘンレの係蹄の下行脚では、基本的には水が再吸収され、上行脚では電解質が再吸収される。 Stephenson のモデルでは、尿素は集合管から再吸収され、central core の浸透圧を高める。 Central core というのは血管などからなる分画のことであるが、世俗的な教科書でいう「間質」にあたると考えても、厳密には不適切であるが、大きく間違ってはいない。 この尿素の移動は、ヘンレの係蹄下行脚における水の受動的な再吸収を促す。 これは central core のナトリウム濃度の低下をもたらし、結果として、上行脚におけるナトリウム再吸収の亢進をもたらす。

このように定性的にみてしまうと、実に、あたりまえのことを言っているに過ぎないようにも感じられる。 しかしながら、これが「風が吹けば桶屋が儲かる」ような論法なのか、本当に正しい論理なのかは、自明ではない。 これを「本当に正しい論理なのだ」と示したところに、Stephenson の理論の価値がある。


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