これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2016/01/19 年齢調整死亡率

私の知る限りにおいて、 学生同士で医学的な話をすると、「教科書にこう書いてある」とか「エラい先生がこう言っていた」というようなことが論拠として示されることがある。 それに対して「その記述は、合ってるの?」「その先生、間違ってるんじゃないか」というような意見は、ふつう、出ない。 仮に、そういう意見表明をすると「こいつ、頭おかしいんじゃないか」「関わらない方が良さそうだ」ぐらいの認定をされかねない。

こういう、権威に従順な姿勢自体は、医学科に限ったことではあるまい。 工学部時代や大学院時代にも、学生同士で話した場合、「先生は、こうおっしゃっている」というような説明をする者は稀ではなかった。 ただ、それに対して「先生がどうおっしゃるかは、どうでもいい。あなたは、どう考えているのか。」と詰め寄った場合、 「いや、私は、先生とは少し違って、このように思うのだけれど……」と、控えめながらも、自説を述べる者が多かったように思われる。 このあたりが、医学科の、他学部より劣っている点であろう。

さて、本日は、昨日と同じ第 102 回医師国家試験の、E 26 の問題を紹介しよう。

我が国の悪性新生物について正しいのはどれか。

a 死亡者数は年間 30 万人を超えている。
b 死亡全体に占める割合は 50 % を超えている。
c 女性の年齢調整死亡率は上昇している。
d 部位別の年齢調整死亡率は結腸が最も高い。
e 部位別の年齢調整死亡率で胃は上昇している。

8 年も前の公衆衛生学であるが、本問は現在でも通用する。正解は、もちろん a である。 ただし、医学科四年生以上で、この問題をみて憤りを感じない者は、勉強が不足している。

年齢調整死亡率は、基準年をどこに設定するかで、大きく変わる。 日本では、年齢調整の基準年は昭和 60 年とすることが多いようである。 しかし、この 30 年間で人口構成は大きく変化したことを考えると、この基準年の設定に公衆衛生学上の妥当性があるとは思われない。 たとえば、高齢化の進んだ 2015 年を基準年とするならば、比較的若年者に多い乳癌や子宮頸癌の年齢調整死亡率は相対的に低くなるはずである。 従って、胃癌の年齢調整死亡率の推移、という議論は妥当であるが、 癌の部位別の死亡率の比較、というような基準人口依存性の大きい問題については、年齢調整死亡率で比較するべきではない。 上述の問題でいえば、c の選択肢はともかく、d e は「合っている」とか「間違っている」とかいうこと以前に、比較すること自体が不適切なのである。 議論するのであれば、粗死亡率か致死率を用いるべきであって、不適切な年齢調整は有害無益である。

なぜ、日本では昭和 60 年を基準年とする統計がいまだに頻用されているのかは、知らない。 諸外国における年齢調整の方法についても、私は、よく知らない。 ただし `Harrison's Principles of Internal Medicine 19th Ed.' の 469 ページのグラフでは 2000 年の米国を基準とした年齢調整が行われている。 これでも 15 年前のものであるから、いささか古いように思われるが、昭和 60 年よりはマシである。

こういうものをみた時、公衆衛生学をキチンと学んだ学生であれば、教授が何と言おうが厚生労働省が何と言おうが、 自信を持って「この統計は、おかしい」「何の意味があるんだ」と攻撃することができるはずである。 むしろ、批判しないことこそ「私は無思慮でございます」と表明しているようなものであって、恥ずかしいと考えるべきである。


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