これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
いささか古い話だが、第 102 回医師国家試験 F 17 の問題についてである。
43 歳の女性。倦怠感と前頸部腫脹を主訴に来院した。3 か月前からの動悸と発汗とが次第に増強し、1 か月前から倦怠感と易疲労感とが加わるとともに前頸部の腫脹に気付いた。
既往に特記すべき疾患はない。意識は清明。身長 161 cm、体重 53 kg。体温 37.0 ℃。呼吸数 18 /分。脈拍 104 /分、整。血圧 124/64 mmHg。
認められる症候はどれか。
a 体重増加
b 皮膚乾燥
c 眼球陥凹
d 手指振戦
e 腱反射低下
言うまでもないことだが、体言止めを多用した不適切な日本語である。
私は、この問題をみたとき「頸部腫脹」という単語から「リンパ腫か何かかな?」と思ったので、問題が何を言っているのか、全然、わからなかった。 そこで同級生の某君に訊いてみると、甲状腺機能亢進症であろう、とのことであり、「あぁ、そういう話をしていたのか」と合点がいった。 これは、私が藪医者であるというより、頸部の写真をみせない厚生労働省が悪い。
上述の某君によれば、出題者の意図としては、甲状腺機能亢進症を疑った時に、手指振戦があれば、 いわゆるベイズ推定の理論により「検査後確率」を上げることができる、という趣旨であろう、とのことであった。 たぶん、そういうことなのであろうし、気持ちはわからないでもないが、それは、いろいろおかしい。
まず第一に、ベイズ推定自体がおかしい。 ベイズ理論を診断に用いることに対する批判は過去にも何度か書いているが、 そもそも「確率」という概念が誤用されていることに加え、これらの診察所見は独立でないのだから、ベイズ理論を用いることはできない。 これは、もはやエセ科学の一種といってもよかろう。 前提が誤っている理論を用いることの危険性を、多くの医師は理解していないのである。 知識偏重の現在の医学科教育のまずさが、ここにも表れている。
第二に、診断が早すぎる。せめて血中甲状腺刺激ホルモン濃度ぐらいは示さなければ、診断学的に妥当であるとはいえない。 これだけの情報で疾患を「当てる」のは、もはやエスパーである。
第三に、病理や、感度・特異度の概念がない。 頸部の腫脹が仮に甲状腺であるとしても、腫脹の原因は腫瘍か、過形成か、炎症のいずれかである。 一方、手指振戦や体重減少などは、甲状腺ホルモンが過剰に血中に放出されることによる。 両者には、ある程度の相関はあるものの、本質的には異なるものであって、直結していない。 これらは明確に分離して考えるべきものであるのに、敢えて混同しなければ、この問題に「正解」することはできないのである。
こういう、いささか古い問題に対してイチイチ指摘をするのもどうかとは思うが、 しかし、現在の知識偏重理論軽視教育を皮肉にもよく反映している問題であると思われたので、紹介した次第である。