これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2016/01/14 フラジャイル

昨日から、月刊アフタヌーンに連載中の病理漫画「フラジャイル」を原作とするテレビドラマが、フジテレビで放映されている。 私はテレビジョンを所有していないが、放映後一週間はフジテレビが公式サイトで配信しているので、そちらで視聴した。

いささか演出過剰であるようには思われるが、基本的には格好良く仕上がっており、医学的観点からも無理が少なく、楽しめた。 強いていえば、原作にもあった宮崎の「医者なんて いつでも辞めてやるわ」の部分を、もう少し強調して欲しかったが、このあたりは個人の好みの問題であろう。 医学、医療の観点からは、二点だけ、気になった箇所がある。

一点は、些細なことではあるが、原作にもあった宮崎が「二年目の医師」という設定である。 現行制度であれば、二年目の医師は通常、初期臨床研修医である。 たぶん、これは「研修修了後二年目」の意味であって、ふつうは「四年目」と表現するところであろう。

もう一点は、病理診断のあり方についてである。 病理医について「患者を診ない」というような表現がなされていたが、どちらかといえば、これは病理医を馬鹿にする意味合いで用いられる言葉である。 「身体診察などで得られる曖昧な情報に頼るのではなく、組織学を重視した確実な診断を行う」という意味では、むしろ 「顕微鏡を通して患者を診る」というような表現の方が適切である。

確かに、過去には「病理医は患者自身を診る必要はない」と考えられていた時代もあった。 平成元年までは、「病理検査は臨床検査の一分野に過ぎない」という観点から、血液検査等と同様に、臨床検査技師がこれを行うこともあった。 つまり、組織学的所見を技師が観察し、その報告書に基づいて臨床医が診断している、という建前であった。 しかし同年、日本病理学会からの疑義照会に対して厚生省は「病理診断は医行為である」と回答し、以後、病理診断は専ら医師が行うこととなっている。

法的な観点からいえば、病理診断に医師免許を要する理由は「医行為だから」というだけのことなのだが、これを素人にも理解できるような表現で述べると、次のようなことになる。 病理診断というのは、単に組織学的所見から機械的に行うことができるものではなく、患者の臨床所見や画像所見などと照合した上での総合的な診断でなければならない。 同じような組織像であっても、患者の背景によって、その解釈は異なるのである。 従って、組織学のみに通じた技師ではなく、医療全般に通じた医師でなければ、病理診断を行うには不適格である。 もちろん組織学的所見は極めて重要であるが、それだけで済むものではない。 かつては `The tissue is the issue.' などと、組織学が全てであるかのように言われていた時代もあったが、現代では、その考えは古いとされている。

従って `Rosai and Ackerman's Surgical Pathology 10th Ed.' などの病理診断学の教科書は、病理医が患者と接することの重要性を説いている。 特に、診断結果を患者に伝える役割は、臨床医に任せるのではなく、診断した病理医自身が行うべきであるとしている。 また、米国などでは、手術室に赴いて検体採取に立ち会う病理医も稀ではないという。 このあたりについて、日本の病理診断の現状はだいぶ遅れているようであるが、我々の世代が中軸を担う頃には、だいぶ様相も変わっているであろう。

以上の事情から、病理医の「患者に会わない」「患者を診ない」という部分を強調するのは、あまり適切ではないように思われる。


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