これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2016/01/09 Marfan 症候群とリンパ脈管筋腫症

この日記で医師国家試験の問題について解説する気はないが、試験対策ではない医学の範疇においては、医師国家試験に言及することにヤブサカではない。 過日、同級生の某君と話していて、第 106 回医師国家試験 I 36 の問題が話題になった。これは、次のようなものである。

気胸の合併に注意すべきなのはどれか。2 つ選べ
a 肺分画症
b 過敏性肺炎
c Marfan 症候群
d 肺リンパ脈管筋腫症
e アレルギー性肉芽腫性血管炎

この設問自体は、単に医療知識を問うだけのクイズであって、医学ではない。 一応、正解は c d ということになっており、それ自体に文句はないのだが、問題は、それを、どう医学的に解釈するか、ということである。

リンパ脈管筋腫症とは、朝倉書店『内科学』第 10 版は「肺胞, 細気管支, 血管, リンパ管周囲, 縦隔や腹腔リンパ節に 平滑筋様細胞 (LAM 細胞) が増生し, 広汎に肺が嚢胞化する比較的まれな疾患である」としている。 なお、同書では「概念」の節で「妊娠可能な女性に好発し」としているが、これは疫学であり、疾患概念ではない。 残念ながら、臨床医学の教科書では、このように疫学と疾患概念を混同していることが稀ではない。 これに対し医学書院『医学大辞典』第 2 版では「正常の平滑筋増殖を主徴とする」としている。 両者の相違点は、増殖しているのが平滑筋細胞なのか平滑筋「様」細胞なのか、という点である。

これについて肺の非腫瘍性疾患の大家であるAnna-Luise A. Katzensteinは、 `Surgical Pathology of Non-Neoplastic Lung Disease 4th Ed.' において `characterized by smooth muscle proliferation in the pulmonary interstitium' としている。 つまり「医学大辞典」と同じ立場である。 この平滑筋細胞は、組織学的に異型に乏しいが、癌抑制遺伝子である TSC1TSC2 の変異やヘテロ接合性の喪失がみられるらしい。 もし、これが平滑筋細胞増殖の原因であるならば、これは平滑筋良性腫瘍の一種であるということになるが、 過形成性増殖の過程で変異を獲得しているのであれば、非腫瘍性病変である。 いずれにせよ、これは、いまいち正体のよくわからない疾患である。なぜ気胸を来しやすいのか、ということも、よくわからない。

一方、Marfan 症候群というのは、フィブリリン遺伝子の異常を原因とする遺伝性疾患である。 これだけから考えると常染色体劣性遺伝かな、とも思うのだが、実際には dominant negative な変異が多いので、大抵は優性遺伝である。 Marfan 症候群には気胸の合併が多く、患者の 3 割程度が気胸を経験する、という報告もあるらしい。 しかし、その機序はイマイチよくわからない。

世俗的な受験参考書などでは、肺の弾性が低下するので引っぱられた際に破れる、というような説明をしているかもしれない。 しかし、これは子供騙しであって、覚えるためのテクニックに過ぎず、論理になっていない。 引っぱられたから破れる、というのであれば、間質性肺炎などでも気胸は多発するはずであるし、 Marfan 症候群の患者が乳幼児期に気胸を多発しないことも説明できない。 こうした後付けの強引な説明を排除し、医学に正しい論理構造を構築することの重要性は、 前川孫二郎が指摘した通りである。

`Robbins and Cotran Pathologic Basis of Disease 9th Ed.' によれば、 Marfan 症候群の患者では、フィブリリン形成異常が TGF-β の過剰産生を惹起するらしい。 生理的には、フィブリリンが TGF-β の産生を抑制しているのだろう。 この TGF-β は、おおまかにいえば、組織の再生を促す作用があるらしく、たとえば創傷治癒の際に活躍する。 このことからわかるように、TGF-β はマトリックスメタロプロテアーゼ (MMP) を活性化する。 `Robbins' は、Marfan 症候群において骨が過度に成長したり、僧帽弁変性を来したりするのは、この TGF-β のせいであろう、としている。

たぶん、Marfan 症候群における気胸も、この TGF-β や MMP の影響であろう。 MMP の作用により肺胞壁の破壊と再生が起こるが、その際、部分的に肺胞腔と胸膜腔が交通することがあり、気胸になるものと考えられる。 この観点からは、世俗的な「引っぱられるから」説は、完全に誤りである。


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