これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2016/01/07 Unna 母斑

ひさしぶりに、医学の専門的な話をしよう。Unna 母斑についてである。 清水宏『あたらしい皮膚科学』第 2 版では、これはサーモンパッチのうち、項部に生じたもの、とされている。 項部というのは、もちろん、いわゆる「うなじ」のことである。 同書では、サーモンパッチというのは、毛細血管奇形のうち正中部に境界不鮮明な淡紅色斑を来したものであり、 毛細血管奇形というのは単純性血管腫やポートワイン母斑と同義語である、としている。 その正体は、毛細血管の拡張であって、血管が増生しているわけではないから、ほんとうは「単純性血管腫」という表現は正しくない。 なお、医学書院『医学大辞典』第 2 版によれば、P. G. Unna は、母斑 nevus という語を 「遺伝的ないし胎生的素因に基づき, 生涯のさまざまな時期に発現し, きわめて徐々に発育し, 皮膚の色調あるいは形の異常を主体とする限局性の皮膚の奇形」 と定義した。

話が逸れるが、「血管腫」と名のつく病変で有名なのは海綿状血管腫である。これは過誤腫に分類されるものであって、血管の良性腫瘍であり、皮膚や脳に生じることが多い。 過誤腫 hamartoma というのは、「医学大辞典」によれば「組織構成成分の混合の異常, 先天的迷入や本来退縮すべき組織の遺残が腫瘤を形成したもの」である。 要するに、モノとしては本来そこにあって然るべきものではあるのだが、発生段階で形がおかしくなってしまったものである。 これに対し、本来そこにあるべきではないものが腫瘤を作ってしまった、場所を間違えたものは分離腫 choristoma という。 `Robbins and Cotran Pathologi Basis of Disease 9th Ed.' によれば、過誤腫は歴史的に「真の腫瘍ではない」と思われてきたが、 実はしばしば染色体異常があり、真の腫瘍であるらしい。

閑話休題、「あたらしい皮膚科学」によれば、サーモンパッチは新生児の 20-30 % にみられ、顔面に生じたものは大抵が自然消退するが、Unna 母斑は消退しにくい、という。 これに対し「医学大辞典」では、サーモンパッチというのは顔面正中部あるいは項部や後頭部に生じる母斑であって、 新生児の 30-50 % にみられる、としている。 頭頸部以外に生じたものはポートワイン母斑であるがサーモンパッチ母斑ではない、ということであって、「あたらしい皮膚科学」とは定義が若干、異なっている。 小児科学の名著である `Nelson Textbook of Pediatrics 20th Ed.' は、サーモンパッチの定義には「医学大辞典」と同じものを採用している。 Unna 母斑という語は用いていないが、サーモンパッチのうち項部や後頭部に生じたものは `usually persist' である、としている。 ただし、この顔面に生じる病変を ポートワイン母斑と混同してはならぬ、としており、 サーモンパッチをポートワイン母斑の一型とする「医学大辞典」と完全には一致していない。

このように、用語の定義については混乱がみられるが、いずれにしても次のような点については見解が一致しているようである。 先天性の毛細血管拡張性母斑について、体幹部や四肢に生じるものはポートワイン母斑であって、消退しない。 頭頸部のうち、後頭部や項部以外に生じるものはサーモンパッチであって、大抵が二歳頃までに消退する。 しかし後頭部や項部に生じるものは、しばしば、残る。

残念ながら現在の皮膚科学は、このような、病理学的理解を抜きにした知識の蓄積に依存している部分が大きい。 たとえば、Unna 母斑が消退するかどうかは、何によって分かれているのか。 体幹部のポートワイン母斑と顔面のサーモンパッチは、何が違うのか。 そういった点は、よくわからないのである。 よくわからないけど、とりあえず、そういう傾向があるということだけ覚えておこう、というのが現在の医学科教育である。

もちろん臨床的には、そういう傾向があるということは知っておいた方がよろしかろう。 なにしろ、我が子にそういう病変を発見した保護者は不安になるであろうから、それが特に悪くなるものではないということや、 自然に消えることも多いということ、消えない場合は治療すれば消せることなどを教えるのは重要である。 しかし、「理由はわからないけれど、そういうものなのだ」と割り切ってはならぬ。 「なぜなのか」と疑問に思い続けることをやめてしまったら、もはやそれは医学ではなく、単なる医療知識である。 一般大衆は、それでも良いだろうが、医師がそれでは、いけない。 知識が多ければ、それだけで大衆から「スゴい」と思われ、チヤホヤされやすい。 それに対して「なんでだろうねぇ」と疑問を呈する医者は、大衆からの評価は低くなる恐れがある。 しかし、本当に医学に造詣が深く、理解しているのは、どちらか。

どうせわからないのだから、どうでも良いではないか、という意見が、遺憾ながら医学科生の多数派であろう。 たぶん、どこの医学科でも一年生の頃に、医学史としてフレミングによるペニシリン発見の逸話を教えていると思われる。 しかし学生は、あの話から、何も学んでいないようである。


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