これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
私が中学一年の時、当時高校一年の川崎さんという人物を中心として「討論部」というサークルが発足した。 討論というのは、ここでは discussion の意味ではなく、競技としての (最狭義の) ディベートである。 競技ディベートとは何か、という点は今回は重要ではないので、割愛する。 発足メンバーの他には、私と中学二年生が一人、加わった。 結局、私はしばらくして討論部から遠ざかってしまったが、翌年には新中学一年生の部員も入り、定着したようである。
この討論部の発足当初、サークル連合に加盟するかどうか、という議論が部内で行われた。 ほぼ全部員は加盟に賛成であったが、一人だけ、強硬に反対する人がいた。 加盟することで、自由な言論が妨げられる恐れがある、というのである。 その場合は脱退すれば良い、という意見もあったが、氏は、無意識に我々の思考が束縛される恐れがあることが問題なのだ、というような主張をしていたように思う。 川崎さんは、立派な人物であった。 意見がまとまらないからといって、多数決や場の雰囲気で押しきることを避け、氏と二人で懇々と語り合い、全会一致に至らしめたのである。 二人が、どういう話し合いをしたのかは、知らない。 しかし、小学校で習った民主主義における「少数意見の尊重」とはこういうことかと、初めて、実感したのである。
さて、話は全く変わるが、私はサークル連合事務局長を、任期満了の直前になって解任された。いわゆるリコールである。 解任を発議したのは、同じサークル連合の会計局長であった某君であったように思う。 解任の理由は三つあった。第一は、スキー同好会に対する活動査察を巡る不手際であり、 第二は、私が設立した某サークルのサー連加盟を巡る不祥事であり、第三は私が新高校三年生にもかかわらず次期サー連事務局副局長に就任することである。 第一の件は、スキー同好会という加盟サークルが、部室を貸与されているのに実際には活動していない、という疑いがあり、これに対し私が活動査察を行ったものである。 これについて、活動していないことは明白であったのに、いたずらに数ヶ月の査察を行い、部室返却処分を課すのが遅れた、怠慢である、というのである。 第二の件について詳細は省くが、これは、私が全面的に悪かった。ただし、その不祥事があったのは、解任が発議されたのより半年ほど前のことであり、 それを今さら蒸し返すのは、何か別の理由があるものと思われた。 第三の件は、完全に言いがかりである。確かに高校三年生が役員に就くのは異例であるが、 私の副局長就任は総会で承認されたものであるのに、それを理由にした局長解任を総会に問うのは、意味がわからなかった。 しかも、次期副局長就任を取り消すのではなく、現局長を解任する、というのである。
スキー同好会の件については、もう少し詳細な説明を要するだろう。 活動内容報告書としては、乱雑な文字で、星占術が云々と、たぶん占星術の誤記であろうが、ふざけているように感じられるものが提出されていた。 また「校外での活動が主体」とし、放課後はせいぜいバレーボールに興じており、一見、ろくに活動していないようにみえた。 それも、「つき指をした」などの理由で、なにかと中止になっていたのである。 だが、サークル連合には「主に校内で活動せねばならない」という規則はなかったし、 「校外でやっている」と言われれば、こちらとしては文句をつけにくかったのである。 予算も、例年 0 円であったが、予算をサークル連合に請求せず自費で賄うのは自由である。 また、スキー同好会という名称で「星占術」をやってはいけない、という決まりもない。 たぶん、彼らは私をからかっていたのだろう。 しかし私としては、万が一にも、キチンとしたサークルに誤って処分を下すようなことがあってはならぬ、と考えた。 私や第三者の印象だけで決めつけるのではなく、なるべく客観的な証拠を揃えようと慎重な査察を行い、 どう考えても適正な活動をしているようには思われない、という結論を得るまでに、三ヶ月ほどを要したように記憶している。 他者の自由を尊重するというのは、そういうことである。 そうした慎重姿勢を怠慢呼ばわりされるのは、納得できなかった。
全体として、解任の理由は、私のことが気に入らないから、というものであろうと解釈した。 何より、会計局長の某君とは、それまで職務上のことで対立も多かったのである。 たとえば某加盟サークルの不正会計事件について、詳細は覚えていないが、高額の不正を会計局が暴いたことがあった。 しかし私は、当該サークル会計担当者からの「部員に説明する時間が欲しい」という要請を受けて、全校に向けて広報するのを遅らせた。 この対応を知った某君は腹を立て、確か物理であったと思うが、授業開始直前であったが教室から出て行こうとした。 担当教員は「おい、授業はどうするんだ」と言ったが、某君は「そんな気分じゃありません」と言い、そのまま退出したのである。 他にもいろいろあったが、根本的なところで、彼とは思想が合わなかった。 彼は、我々のような役員が全体を指導すべきであると考えていたようであるのに対し、 私は、我々は総会すなわち大衆の意思の下僕に過ぎない、と考えていたのである。
だいたい、任期満了直前で、もう残す仕事もないような状況での解任であることから考えても、私怨であることは明らかであった。 私は、こんな馬鹿げた解任案が総会を通るわけがない、と思っていたので、上述の三つの理由に対して簡潔に反駁したのみで済ませた。 ところが採決してみると、賛成多数、棄権少数、反対は極めて少数であり、可決されてしまったのである。
私は、反省した。 解任の理由に本当に納得・同意して賛成票を投じた者は、僅かであっただろう。 それでも可決されたのは、議決に際しては無条件で賛成する者が、世の中には少なくないからであると思われる。 だから「可決されるはずがない」などと大衆の良識に期待して任せるのではなく、徹底的に抗弁するべきであった。